最近は、むかし話ばっかでしたので今回は、21世紀の話です。
先週の金曜日に仕事帰りにバイクを保管している
「秘密基地」に寄って10,800円の『年貢』を払って
きました。
約1ヶ月前に「立ちコケ」(というか諦めコケ)して
「秘密基地」にバイクを戻してから久しぶりです。
週末は台風の影響で天候が悪いので乗る事も
出来ないのでエンジンだけでもかけとくか。
って事でバイクシートをめくってエンジンON。
セル一発でかかりました。エエ感じやね。
それはエエねんけど、改めてカウルを見たら
やっぱ割れてます(涙)
ガードレールに倒れていった形なんでカウルも完璧に
割れていないので、とりあえず透明テープででも処置
しようと思います。
バイク・カウル・バイクの話なのでBKB。
バイクだけに。ブンブン。
翌日の土曜日は朝から曇り空全開で箱根・伊豆半島方面は
薄暗い雲が立ち込めています。
なので外に出る事もなく自宅で過ごしました。日曜日も(大雨だしね)。
結局、週末も乗らずに明日からのお盆休みに突入です。
お盆明けにこそ箱根ターンパイクや!
みなさん、お盆明けは箱根で集合ね。
現在の話だし、悲しいカウルになった話なので皆さんコメント下さいネ。
では。
2014年8月13日水曜日
2014年8月11日月曜日
【むかし話】弾丸4
「わんこそば」で腹一杯というか満腹プクプク状態です。
普段でもパンパンの腹なのにぃ・・・。
店を出てから盛岡駅のベンチで横になって1時間くらい休憩。
ブラックが、せっかく盛岡に来てるねんから雄大な草原牧場の
「小岩井農場」にでも行こうや。と言い出しよったので出発する事になりました。
ブラックは限界まで食わずに余力を残してたみたい(ズルい)
私は学生時代に車で1回、バイクで2回、北海道に行ってるので
「小岩井農場」と言われても、あんまり興味がなかったのですが、
兎に角、横になって休憩をしたいという気持ちが1000%でしたので
「小岩井農場」に向けてバイクを走らせました。
MVX250はハンドルもセパハンにしてステップもバックステップに
改造をしており、街道レーシング仕様の為に前屈みのバイクに
乗ったら本気で吐きそうです。ヤバイ。
<ちょっと、ブレイクタイム>---------------------------
少し余談になりますが、この弾丸ツアー決行の少し前に
我が家でパーティーをしている時に誰かが突然、ピザを
食いたいと言い出しまして(当時はデリバリーはなかった)。
ノリでバイクと車に分乗して難波へ出動する事になりました。
バイクは私(MVX)とSeaBreezeの後輩(現役学生)の2人です。
山口県出身のN君(CB750)と今回の主人公のO君(CB750)。
車は、ブラック(プレリュードやったけ?)の1台だけです。
ブラックはパーティーに来ていた女性陣を独占して車に
乗せています。我々バイク組は孤独に走るだけです。
泉北から阪神高速・堺線を相当なスピードで難波まで。
高速を使ったとはいえ、ブラックはバイクの時と同じで
車でも無茶な運転をしてバイク組と同時刻に到着。
たしか「リバティーハウス」って店名やったかな。まぁエエか。
そこでパスタ(大盛り)やピザなんかを食いまくりました。
その後、帰ろうというタイミングでCB750(O君の方)が、
腹いっぱいでキツイっすわ。と言うてたのですが、聞き流して
そのまま店の前で別れてました。
ブラックは女性陣を順番に送るって事で走り去っていきました。
問題はCB750コンビの方です。
我々と別れて2台で走っている時に、後ろを走っていた
山口県のN君のCB750に何かが飛んでくるではありませんか。
次の信号で前を走っていたO君を見るとヘルメットを被ったまま
ゲロっておりタンクはミミズだらけ(大盛り)だったそうです。
ヘルメットもエライ事になっています。
なんと、O君は時速80Km(推定)で走りながらゲロってた模様。
本人曰く、気分が悪くなってきたので、止まってから
吐こうと思って止まる場所を探してるうちに、ヤッてしまったそうです。
O君は、近くの水道でヘルメットのゲロを洗い流して、
そのヘルメットに水を入れてバイクのタンクを洗い流したそうです。
その後は匂うヘルメットを被って寮まで帰ったそうです。立派!
--------------------------------------------------------------
なんて事を思い出しながら、CB750(O君)みたいにヘルメットを
被ったまま吐いたらアカン。吐いたらアカン。吐いたらアカン。吐いたらアカン。
と呪文の様に唱えていました。
まさに、マラソンの君原選手みたいに『次の電柱まで・・・』という感じで
『次の信号まで・・・』という気持ちでした。
なんとか片手運転で上体を起こして運転をしてヘロヘロ状態で
タンクを蕎麦で満載にする事もなく、「小岩井農場」に到着。
羊のメリーさんを見る事もなく芝生にバタンキュー(死語)。
ブラックは誰かに暑中見舞いを書いてるけど、私は言葉を
発する事もなく横でダウン(-.-)zzz。
どのくらい寝たのか判りませんでしたが、目覚めたら夕陽が。
横を見るとブラックも寝てます。
ヤベぇ。もう夕方やんけ~。今朝、起きてから殆ど距離を稼いでいない。
早々に「小岩井農場」を後にした2台の2ストクォーターは盛岡インターまで
行き、そこから東北道を南下します。「それドンドン」って感じ。
「わんこそば」&「小岩井農場」でエライ時間を使ってしまったので
頑張って走ります。行けるとこまで行くゾー。って感じですね。
だいぶ腹の調子もマシになってきたのでレースみたいに走ります。
でもでもハードな工程のお陰で眠いっす。
居眠り運転で何度も事故りそうになりながら、ブラックとホーンを
鳴らしあって目を覚まして走ります。
しかし、もう限界まできていたのでストップ。時間は、23時頃(と思う)
場所は二本松あたりだったと思うのですが・・・(覚えてましぇん)。
ここで高速から出ずにインター横の道路公団の事務所横あたりで
こっそり寝ようという事になりました。(なんせ23時過ぎなので)
我々が寝ようとしていた駐車スペースの横に事故した車の
残骸が放置されていたのは、ちょっとビビりましたが。
就寝。これで2日目は終わるのです。
雑貨屋っぽい店(よろず屋みたいな感じ)で停車。まだまだ早朝です。
『Loquor Shop松本酒店』という店でした。
牛乳とパンくらいでエエかな。と思い店に入りました。田舎の店は朝が早い。
詳細は言えませんが、ブラックは全国に営業所のある食品会社に勤めております。
その雑貨屋っぽい店にも、ブラックの会社の商品が置いてあり、ブラックは、
「ボクは、◯◯◯◯の営業で店舗さんを営業車で回ってるんですワ。」
みたいな感じで仕事の話をして盛り上がってます。これ以上は言えねぇ。
そしたら田舎の雑貨屋の夫婦(推定60歳くらい)は、僕たち(ブラック)の事を
エライ気に入ってくれて、「奥に入ってお茶でも」という事になりました。
そして、なんとなんと、「朝御飯は?」と聞かれたので、「まだです。」
と回答したら、「それなら朝御飯を食べていきなさいヨ」と言ってくださり、
見知らぬ土地でのブラックの絶妙トークのお陰で朝飯をゴチになりました。
よくやったブラック。久しぶりのエエ仕事や。流石、営業!
違反したり、転倒したり、喧嘩したり、入院したり、パトカーをブッチしたり、
オービスを光らせまくったり、事故ったりの話ばっかやったけど・・・
100年に1度の手柄や。ホンマによくやった。
(昨日の「わんこそば」以来の食事です。あんなに食ったのに腹は減る)
ググったんやけど、リカーショップ「松本酒店」は見つける事が出来ません。
「これかなぁ~?」という店はあったのですが、自信がありません。
ここは、ブラックに店を特定してもらい、28年目の「お礼参り」じゃなくて
「お礼」ツーリングに行きたいと思います。
ブラック君。店を探してくれ~。。。。期待しとるでぇ。
それにしても、こんな写真まで持ってるとは、私はマメっしょ。エライ!
そこから猪苗代湖を一周した模様(?)。
<話は横道にそれて、再びブレイクタイム>---------------------------
先日ブラックと新橋で飲んでいる時に、この弾丸の想い出話を
していたのですが、ブラックは、この後、猪苗代湖に行った。
と言うのですが、私には全く記憶がありません。でも写真を取り出すと
会津若松駅で写ってるし。ブラックの記憶が正しいのでしょうか。
しっかり、会津若松駅に行ってるんやけど('ω')
でもなぁ、猪苗代湖を一周したんやったら、絶対に『猪苗代湖』という
看板のあるところで写真を撮ってるはずやねんけどなぁ・・・。
それに時間と距離から勘案すると一周は無理があるねんけど。
まっ、エエか。そこんとこはファジーでいこう。なんせ28年も前やし。
----------------------------------------------------------------------------------
『Loquor Shop松本酒店』で朝飯を御馳走になってから猪苗代湖を
一周(?)し終わったのは多分、朝の11時頃だったんじゃないでしょうか。
(私の記憶には無いのでホンマに猪苗代湖を一周したんやろか?)
その後、折角、ここまで来たんやから、「いろは坂」を攻めに行こうや。
と、どちらかともなく言い出して、そこから「いろは坂」へ。
しかし、ここから「いろは坂」のある日光までは約200Kmもあります。
なので、再び、東北自動車道に乗ってカッ飛ばします。
弾丸コンビは、警察の餌食になる事もなくガンガン飛ばします。
そして宇都宮インターくらいで高速を降りて日光方面へ。
ついに「いろは坂」です。
子供の頃に観光バスで来た記憶の「いろは坂」はグネグネ道で
とても攻める様なとこじゃないと思っていたのですが、まぁ記念になると
言う事で2台の2ストでそれなりに攻めましたがあんなヘアピンばっかしで、
観光バスや車だらけなんで、あんまり覚えてましぇん。
到着してエレベータで「華厳の滝」まで降りて滝を見学です。
しかし、時間が無いちゅのに余裕の観光旅行をしていますね。
その後、一方通行の「いろは坂」を下山。
この時点で3日目(火曜日)の昼の14時とか15時のはずです。
明日は仕事だぁ。
【帰還リミットまで、あと14~15時間】
サラバ。
普段でもパンパンの腹なのにぃ・・・。
店を出てから盛岡駅のベンチで横になって1時間くらい休憩。
ブラックが、せっかく盛岡に来てるねんから雄大な草原牧場の
「小岩井農場」にでも行こうや。と言い出しよったので出発する事になりました。
ブラックは限界まで食わずに余力を残してたみたい(ズルい)
まだ、吐きそうな私。
私は学生時代に車で1回、バイクで2回、北海道に行ってるので
「小岩井農場」と言われても、あんまり興味がなかったのですが、
兎に角、横になって休憩をしたいという気持ちが1000%でしたので
「小岩井農場」に向けてバイクを走らせました。
MVX250はハンドルもセパハンにしてステップもバックステップに
改造をしており、街道レーシング仕様の為に前屈みのバイクに
乗ったら本気で吐きそうです。ヤバイ。
<ちょっと、ブレイクタイム>---------------------------
少し余談になりますが、この弾丸ツアー決行の少し前に
我が家でパーティーをしている時に誰かが突然、ピザを
食いたいと言い出しまして(当時はデリバリーはなかった)。
ノリでバイクと車に分乗して難波へ出動する事になりました。
バイクは私(MVX)とSeaBreezeの後輩(現役学生)の2人です。
山口県出身のN君(CB750)と今回の主人公のO君(CB750)。
車は、ブラック(プレリュードやったけ?)の1台だけです。
ブラックはパーティーに来ていた女性陣を独占して車に
乗せています。我々バイク組は孤独に走るだけです。
泉北から阪神高速・堺線を相当なスピードで難波まで。
高速を使ったとはいえ、ブラックはバイクの時と同じで
車でも無茶な運転をしてバイク組と同時刻に到着。
たしか「リバティーハウス」って店名やったかな。まぁエエか。
そこでパスタ(大盛り)やピザなんかを食いまくりました。
その後、帰ろうというタイミングでCB750(O君の方)が、
腹いっぱいでキツイっすわ。と言うてたのですが、聞き流して
そのまま店の前で別れてました。
ブラックは女性陣を順番に送るって事で走り去っていきました。
問題はCB750コンビの方です。
我々と別れて2台で走っている時に、後ろを走っていた
山口県のN君のCB750に何かが飛んでくるではありませんか。
次の信号で前を走っていたO君を見るとヘルメットを被ったまま
ゲロっておりタンクはミミズだらけ(大盛り)だったそうです。
ヘルメットもエライ事になっています。
なんと、O君は時速80Km(推定)で走りながらゲロってた模様。
本人曰く、気分が悪くなってきたので、止まってから
吐こうと思って止まる場所を探してるうちに、ヤッてしまったそうです。
O君は、近くの水道でヘルメットのゲロを洗い流して、
そのヘルメットに水を入れてバイクのタンクを洗い流したそうです。
その後は匂うヘルメットを被って寮まで帰ったそうです。立派!
--------------------------------------------------------------
なんて事を思い出しながら、CB750(O君)みたいにヘルメットを
被ったまま吐いたらアカン。吐いたらアカン。吐いたらアカン。吐いたらアカン。
と呪文の様に唱えていました。
まさに、マラソンの君原選手みたいに『次の電柱まで・・・』という感じで
『次の信号まで・・・』という気持ちでした。
なんとか片手運転で上体を起こして運転をしてヘロヘロ状態で
タンクを蕎麦で満載にする事もなく、「小岩井農場」に到着。
羊のメリーさんを見る事もなく芝生にバタンキュー(死語)。
ブラックは誰かに暑中見舞いを書いてるけど、私は言葉を
発する事もなく横でダウン(-.-)zzz。
雄大な自然にある小岩井農場
どのくらい寝たのか判りませんでしたが、目覚めたら夕陽が。
横を見るとブラックも寝てます。
ヤベぇ。もう夕方やんけ~。今朝、起きてから殆ど距離を稼いでいない。
逆光で見にくいけど「小岩井農場」の看板です。
早々に「小岩井農場」を後にした2台の2ストクォーターは盛岡インターまで
行き、そこから東北道を南下します。「それドンドン」って感じ。
「わんこそば」&「小岩井農場」でエライ時間を使ってしまったので
頑張って走ります。行けるとこまで行くゾー。って感じですね。
だいぶ腹の調子もマシになってきたのでレースみたいに走ります。
でもでもハードな工程のお陰で眠いっす。
居眠り運転で何度も事故りそうになりながら、ブラックとホーンを
鳴らしあって目を覚まして走ります。
しかし、もう限界まできていたのでストップ。時間は、23時頃(と思う)
場所は二本松あたりだったと思うのですが・・・(覚えてましぇん)。
ここで高速から出ずにインター横の道路公団の事務所横あたりで
こっそり寝ようという事になりました。(なんせ23時過ぎなので)
我々が寝ようとしていた駐車スペースの横に事故した車の
残骸が放置されていたのは、ちょっとビビりましたが。
就寝。これで2日目は終わるのです。
さて、3日目の朝です。
野宿をした二本松あたりのインターで目覚めた2人は、そのまま
高速を降りて、朝メシを買う為に店を探しながら走ってました。
当時はコンビニの数もまだまだでしたので、やっと見つけた、田舎の野宿をした二本松あたりのインターで目覚めた2人は、そのまま
高速を降りて、朝メシを買う為に店を探しながら走ってました。
雑貨屋っぽい店(よろず屋みたいな感じ)で停車。まだまだ早朝です。
『Loquor Shop松本酒店』という店でした。
牛乳とパンくらいでエエかな。と思い店に入りました。田舎の店は朝が早い。
詳細は言えませんが、ブラックは全国に営業所のある食品会社に勤めております。
その雑貨屋っぽい店にも、ブラックの会社の商品が置いてあり、ブラックは、
「ボクは、◯◯◯◯の営業で店舗さんを営業車で回ってるんですワ。」
みたいな感じで仕事の話をして盛り上がってます。これ以上は言えねぇ。
そしたら田舎の雑貨屋の夫婦(推定60歳くらい)は、僕たち(ブラック)の事を
エライ気に入ってくれて、「奥に入ってお茶でも」という事になりました。
そして、なんとなんと、「朝御飯は?」と聞かれたので、「まだです。」
と回答したら、「それなら朝御飯を食べていきなさいヨ」と言ってくださり、
見知らぬ土地でのブラックの絶妙トークのお陰で朝飯をゴチになりました。
よくやったブラック。久しぶりのエエ仕事や。流石、営業!
違反したり、転倒したり、喧嘩したり、入院したり、パトカーをブッチしたり、
オービスを光らせまくったり、事故ったりの話ばっかやったけど・・・
100年に1度の手柄や。ホンマによくやった。
(昨日の「わんこそば」以来の食事です。あんなに食ったのに腹は減る)
おじさん。おばさん。お世話になりました。
ググったんやけど、リカーショップ「松本酒店」は見つける事が出来ません。
「これかなぁ~?」という店はあったのですが、自信がありません。
ここは、ブラックに店を特定してもらい、28年目の「お礼参り」じゃなくて
「お礼」ツーリングに行きたいと思います。
ブラック君。店を探してくれ~。。。。期待しとるでぇ。
それにしても、こんな写真まで持ってるとは、私はマメっしょ。エライ!
そこから猪苗代湖を一周した模様(?)。
<話は横道にそれて、再びブレイクタイム>---------------------------
先日ブラックと新橋で飲んでいる時に、この弾丸の想い出話を
していたのですが、ブラックは、この後、猪苗代湖に行った。
と言うのですが、私には全く記憶がありません。でも写真を取り出すと
会津若松駅で写ってるし。ブラックの記憶が正しいのでしょうか。
しっかり、会津若松駅に行ってるんやけど('ω')
でもなぁ、猪苗代湖を一周したんやったら、絶対に『猪苗代湖』という
看板のあるところで写真を撮ってるはずやねんけどなぁ・・・。
それに時間と距離から勘案すると一周は無理があるねんけど。
まっ、エエか。そこんとこはファジーでいこう。なんせ28年も前やし。
----------------------------------------------------------------------------------
『Loquor Shop松本酒店』で朝飯を御馳走になってから猪苗代湖を
一周(?)し終わったのは多分、朝の11時頃だったんじゃないでしょうか。
(私の記憶には無いのでホンマに猪苗代湖を一周したんやろか?)
その後、折角、ここまで来たんやから、「いろは坂」を攻めに行こうや。
と、どちらかともなく言い出して、そこから「いろは坂」へ。
しかし、ここから「いろは坂」のある日光までは約200Kmもあります。
なので、再び、東北自動車道に乗ってカッ飛ばします。
弾丸コンビは、警察の餌食になる事もなくガンガン飛ばします。
そして宇都宮インターくらいで高速を降りて日光方面へ。
ついに「いろは坂」です。
子供の頃に観光バスで来た記憶の「いろは坂」はグネグネ道で
とても攻める様なとこじゃないと思っていたのですが、まぁ記念になると
言う事で2台の2ストでそれなりに攻めましたがあんなヘアピンばっかしで、
観光バスや車だらけなんで、あんまり覚えてましぇん。
到着してエレベータで「華厳の滝」まで降りて滝を見学です。
ここからエレベータで下ります。
エレベータで上下するだけで400円なんすね。
この何年か後に地震で滝の形状が変わったみたい。
しかし、時間が無いちゅのに余裕の観光旅行をしていますね。
その後、一方通行の「いろは坂」を下山。
エロいポーズ?
この時点で3日目(火曜日)の昼の14時とか15時のはずです。
明日は仕事だぁ。
【帰還リミットまで、あと14~15時間】
サラバ。
2014年8月4日月曜日
【むかし話】弾丸3
2日目の朝です。
今回は、バイクの話が殆ど(一切)、ありません。
ヘルメットを被っていても虫がウザくて、あんまり寝る事が
出来ませんでしたので寝不足です。
今日は、盛岡に来た目的である「わんこそば」を食べる日です。
しかし、店は早朝からOPENしている訳もなく、太陽が昇っても
芝生のとこでゴロゴロと寝てました(朝になったら虫も居なくなったし)
9時頃になったので盛岡駅に向かって出発。
東京3人組みも一緒に「わんこそば」に行く事になりました。
駅前にバイクを停めて創業、大正12年の「やぶ屋」さんに行きました。
URLは、こちら。http://yabuya.jp/
今では若干変わってるみたいですが当時は「わんこそば」の
メニューは3種類あって、「並」、「上」、「特上」というか「松」、「竹」、「梅」
とあって、1,000円、2,000円、3,000円だったと思います。
何が違うかというと、値段がUPするにつれてサイドメニューが
増えていきます。
「並」は、薬味だけやったと思います。
「上」は、刺身なんかが付いたお思います。
「特上」は、更に天麩羅とかも尽きます。これは豪勢でっせ。
URLで確認すると今は以下の様ですね。
その2年前に、別の「わんこそば」屋に行った時の経験なんですが
「特上」の様な色々なサイドメニューが無いと「わんこそば」だけでは
飽きます。「並」だったら飽きてしまい、あんまり食えません。
なので、「特上」を注文したと思います。
社会人やから、このくらいの金額は平気ですわな。
記憶によると「わんこそば」の椀が10杯で普通の蕎麦1杯分だった
と思います。店によって色々あるみたいですが。
御存知と思いますが「わんこそば」とは、食べてる後ろにおねーさんが
立っていて椀を食べると速攻でおかわりを入れてくれます。(勝手にね)
そんな感じで、食べても食べてもおねーさんが蕎麦を入れてくれるのです。
お腹が一杯になるとお椀の蓋をするまでおねーさんが、どんどん蕎麦を
継ぎ足すので、おねーさんが蕎麦を入れる前に蓋を閉じないと駄目です。
その店では、「もう無理です。」って感じでギブすると継ぎ足しはストップします。
当たり前か。でもでも蕎麦を投入する、おねーさんとの勝負です。
試合が開始する前に店の人に教えて貰ったのですが、おねーさんが
投入する蕎麦には少しですが汁が入っているので、その汁は飲まずに
捨てて下さい。でないと蕎麦が食べれませんので。
(バケツじゃないけど、汁入れの器が置いてあります)
私とブラックが1組みで対するおねーさんが1人。
東京3人衆が1組みで対するおねーさんが1人。という布陣です。
試合開始。カ~ン。ゴングが鳴りました。
最初は、みんな好調で食いまくります。おねーさんも忙しくします。
1~2杯目は汁も味わうのですが、それ以降は忠告通り汁は捨てます。
10杯、20杯。とここらへんで、なんと東京組みの1人が脱落。
信じられン。。。
後の4人はどんどん食います。しかし40杯くらいで残りの東京モン
2人も脱落。ホンマに東京モンは根性が無いなぁ(当時の感想)
と思っていました。
残すは関西人の我々2人です。
2年前に1人で「わんこそば」に来た時は54杯でギブしました。
これは私1人に対しておねーさんも1人というタイマンの対決で
休憩する間もなくガンガン蕎麦を投入されたので54杯でギブと
なったのでした。
今回は、ブラックと私の2人なので、少しは余裕があります。
私個人の目標は、過去の54杯を大幅にクリアする事です。
「それドンドン」、「まだまだ」、「はいジャンジャン」などの掛け声
とともに、おねーさんは、ジャンジャンと注ぎます。
しかし、遂にブラックも60杯をクリアして私の過去をクリアしたので
満足したみたいで、そこらへんでギブ。
私の一人旅は続きます。70杯。。。
もうアカン。そろそろギブしようかなぁ。と思ってると、おねーさんが
「100杯まで、頑張って。100杯で記念品を出しますよ(^^)v」
「それドンドン!」 と言われて関西魂に火がつきました。
ブラックと東京組み3人だけじゃなく一般のお客様からの声援もあり、
71杯。72杯。73杯。74杯。75杯。76杯。77杯。78杯。79杯。
やった~。80杯クリア。
この時点で「特上」の天麩羅とかのサイドメニューも食いきっています。
う~ん。限界。もう吐きそうだったので休憩。
しかし、おねーさんが「100杯で記念品ですヨ~。」とそそります。
81杯。82杯。83杯。84杯。85杯。86杯。87杯。88杯。89杯。
90杯クリア。
ホンマに吐く手前だったので。更に休憩。
一旦、休憩したお陰で91杯。92杯。93杯。94杯。95杯。
休憩。もう何がなんか判らないくらい腹いっぱいです。
しかし、「あと少しで記念品だよ。」とおねーさん。
あと5杯かぁ。よし、気分を切り替えて一気に96杯。97杯。98杯。99杯。
100杯。101杯。
えっ、100杯越えてるやん。おねーさんが止まりません。
「ちょうちょう、ホンマにアカンって」。という事でホンマにアカンかったので
101杯で終了。
100杯食べたでぇ。記念品を下さ~い。
というと奥からおねーさんが、「手ぬぐい」を持ってきまして。。。
え~っ。(@_@) そんだけ~。「はい。そうです。記念品です(^^)v」
この証明証のお蔭で、行った店の名前が判明。
(ちゃんと記録を取っている几帳面ライダー)
しかし、「手ぬぐい」かぁ。まぁ、店の名前が入っていたので記念には
なるのでしょうが、100杯(ちゃうちゃう101杯)も食って、これかい・・・・。
改めて「手ぬぐい」を見ていると、それまで溜めに溜めていた
「わんこそば」を一気に吐気だしそうになりつつ、その場に倒れ込んで
しまいました。そのまま動けず・・・・。1歩でも動いたら出るぅ~。
店も商売をされているので、あんまり長い時間、倒れ込んでいる
訳にもいかず、ゲップ状態で店を後にしました(涙ゲップ涙)。
という様な、「手ぬぐい」というオチがついたところで「わんこそば」の
話は終わるのでした。
あっ、この時の「手ぬぐい」なんですが。
♪Mama, Do you remember♪
『母さん、僕のあの「手ぬぐい」どうしたでしょうね ええ、夏、碓氷から
霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの「手ぬぐい」ですよ~』
♪Mama, Do you remember♪
とは関係ないのですが、今では影も形も・・・・。
几帳面ライダーの私でも無くす事はあります。
もしかしたらブラックにパクられたかも(笑)
って、今回はバイクは全く出てこずに「わんこそば」一色でしたね。
この時点で2日目(月曜日)の昼の12時。明後日は仕事だぁ。
【帰還リミットまで、あと41時間】
サラバ。
今回は、バイクの話が殆ど(一切)、ありません。
ヘルメットを被っていても虫がウザくて、あんまり寝る事が
出来ませんでしたので寝不足です。
今日は、盛岡に来た目的である「わんこそば」を食べる日です。
しかし、店は早朝からOPENしている訳もなく、太陽が昇っても
芝生のとこでゴロゴロと寝てました(朝になったら虫も居なくなったし)
右上に見えるのが盛岡インターの料金所です。
こんなとこに寝てました(不思議と注意されなかった)
東京の人は、よくよく見るとオヤジやね。
やっぱ夏ですね。朝から暑かったみたい。
「わんこそば」へチャレンジ前の2人
9時頃になったので盛岡駅に向かって出発。
東京3人組みも一緒に「わんこそば」に行く事になりました。
駅前にバイクを停めて創業、大正12年の「やぶ屋」さんに行きました。
URLは、こちら。http://yabuya.jp/
今では若干変わってるみたいですが当時は「わんこそば」の
メニューは3種類あって、「並」、「上」、「特上」というか「松」、「竹」、「梅」
とあって、1,000円、2,000円、3,000円だったと思います。
何が違うかというと、値段がUPするにつれてサイドメニューが
増えていきます。
「並」は、薬味だけやったと思います。
「上」は、刺身なんかが付いたお思います。
「特上」は、更に天麩羅とかも尽きます。これは豪勢でっせ。
URLで確認すると今は以下の様ですね。
お子様(並):2,500円
上:3,000円
特上:4,000円
その2年前に、別の「わんこそば」屋に行った時の経験なんですが
「特上」の様な色々なサイドメニューが無いと「わんこそば」だけでは
飽きます。「並」だったら飽きてしまい、あんまり食えません。
なので、「特上」を注文したと思います。
社会人やから、このくらいの金額は平気ですわな。
記憶によると「わんこそば」の椀が10杯で普通の蕎麦1杯分だった
と思います。店によって色々あるみたいですが。
御存知と思いますが「わんこそば」とは、食べてる後ろにおねーさんが
立っていて椀を食べると速攻でおかわりを入れてくれます。(勝手にね)
そんな感じで、食べても食べてもおねーさんが蕎麦を入れてくれるのです。
お腹が一杯になるとお椀の蓋をするまでおねーさんが、どんどん蕎麦を
継ぎ足すので、おねーさんが蕎麦を入れる前に蓋を閉じないと駄目です。
その店では、「もう無理です。」って感じでギブすると継ぎ足しはストップします。
当たり前か。でもでも蕎麦を投入する、おねーさんとの勝負です。
試合が開始する前に店の人に教えて貰ったのですが、おねーさんが
投入する蕎麦には少しですが汁が入っているので、その汁は飲まずに
捨てて下さい。でないと蕎麦が食べれませんので。
(バケツじゃないけど、汁入れの器が置いてあります)
私とブラックが1組みで対するおねーさんが1人。
東京3人衆が1組みで対するおねーさんが1人。という布陣です。
試合開始。カ~ン。ゴングが鳴りました。
最初は、みんな好調で食いまくります。おねーさんも忙しくします。
1~2杯目は汁も味わうのですが、それ以降は忠告通り汁は捨てます。
10杯、20杯。とここらへんで、なんと東京組みの1人が脱落。
信じられン。。。
後の4人はどんどん食います。しかし40杯くらいで残りの東京モン
2人も脱落。ホンマに東京モンは根性が無いなぁ(当時の感想)
と思っていました。
残すは関西人の我々2人です。
2年前に1人で「わんこそば」に来た時は54杯でギブしました。
これは私1人に対しておねーさんも1人というタイマンの対決で
休憩する間もなくガンガン蕎麦を投入されたので54杯でギブと
なったのでした。
今回は、ブラックと私の2人なので、少しは余裕があります。
私個人の目標は、過去の54杯を大幅にクリアする事です。
「それドンドン」、「まだまだ」、「はいジャンジャン」などの掛け声
とともに、おねーさんは、ジャンジャンと注ぎます。
しかし、遂にブラックも60杯をクリアして私の過去をクリアしたので
満足したみたいで、そこらへんでギブ。
私の一人旅は続きます。70杯。。。
もうアカン。そろそろギブしようかなぁ。と思ってると、おねーさんが
「100杯まで、頑張って。100杯で記念品を出しますよ(^^)v」
「それドンドン!」 と言われて関西魂に火がつきました。
ブラックと東京組み3人だけじゃなく一般のお客様からの声援もあり、
71杯。72杯。73杯。74杯。75杯。76杯。77杯。78杯。79杯。
やった~。80杯クリア。
この時点で「特上」の天麩羅とかのサイドメニューも食いきっています。
う~ん。限界。もう吐きそうだったので休憩。
しかし、おねーさんが「100杯で記念品ですヨ~。」とそそります。
81杯。82杯。83杯。84杯。85杯。86杯。87杯。88杯。89杯。
90杯クリア。
ホンマに吐く手前だったので。更に休憩。
一旦、休憩したお陰で91杯。92杯。93杯。94杯。95杯。
休憩。もう何がなんか判らないくらい腹いっぱいです。
しかし、「あと少しで記念品だよ。」とおねーさん。
あと5杯かぁ。よし、気分を切り替えて一気に96杯。97杯。98杯。99杯。
100杯。101杯。
えっ、100杯越えてるやん。おねーさんが止まりません。
「ちょうちょう、ホンマにアカンって」。という事でホンマにアカンかったので
101杯で終了。
100杯食べたでぇ。記念品を下さ~い。
というと奥からおねーさんが、「手ぬぐい」を持ってきまして。。。
え~っ。(@_@) そんだけ~。「はい。そうです。記念品です(^^)v」
記念にポラロイドで撮ってくれました。
この証明証のお蔭で、行った店の名前が判明。
(ちゃんと記録を取っている几帳面ライダー)
しかし、「手ぬぐい」かぁ。まぁ、店の名前が入っていたので記念には
なるのでしょうが、100杯(ちゃうちゃう101杯)も食って、これかい・・・・。
改めて「手ぬぐい」を見ていると、それまで溜めに溜めていた
「わんこそば」を一気に吐気だしそうになりつつ、その場に倒れ込んで
しまいました。そのまま動けず・・・・。1歩でも動いたら出るぅ~。
店も商売をされているので、あんまり長い時間、倒れ込んでいる
訳にもいかず、ゲップ状態で店を後にしました(涙ゲップ涙)。
という様な、「手ぬぐい」というオチがついたところで「わんこそば」の
話は終わるのでした。
あっ、この時の「手ぬぐい」なんですが。
♪Mama, Do you remember♪
『母さん、僕のあの「手ぬぐい」どうしたでしょうね ええ、夏、碓氷から
霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの「手ぬぐい」ですよ~』
♪Mama, Do you remember♪
とは関係ないのですが、今では影も形も・・・・。
几帳面ライダーの私でも無くす事はあります。
もしかしたらブラックにパクられたかも(笑)
って、今回はバイクは全く出てこずに「わんこそば」一色でしたね。
この時点で2日目(月曜日)の昼の12時。明後日は仕事だぁ。
【帰還リミットまで、あと41時間】
サラバ。
2014年7月29日火曜日
【むかし話】弾丸2
深夜3時(日曜日の朝っすね)に堺市を出発した
2スト250ccレーサーレプリカ(2台)は、普段なら
まず乗らない高速(近畿自動車道)に乗ります。
当時は東大阪(もしかしたら長吉長原)から吹田までしか
開通してなかった近畿自動車道で吹田へ。
でもでも、普段から高速なんか走ってなかったので
吹田ジャンクションあたりで少し行き過ぎて急停車。
押しながらバック(違反?→時効→天丼)。というか
乗らずにゆっくりバックしたんですよ。
なんとか名神高速へ。米原から北陸道へ。
本来ならば名神高速~東名高速~都内~東北道ってルートを
とるところなんですがお盆休みという事で首都圏は渋滞してると
「読み」、あえて日本海側を走る事にして北陸道へ進んだのです。
北陸道っていうても当時は、敦賀くらい(?)までしか
開通してなくて明け方頃には高速から降りて下道[したみち]へ。
R8をひたすら走ります。
途中休憩もせずに給油の為にバイクから降りるだけで
どんどん走ります。福井県→石川県→富山県を過ぎて新潟県に
入りました。しかし、新潟県は長い。いつまで走っても新潟です。
やっと新潟駅に到着したのは、もう16時頃です(日曜日の夕方ね)。
自宅を出発して13時間程経過。しかし、まだ新潟駅です。
新潟駅で、やっとメシを食いました。ここまで給油(その時に小便)を
するだけで走ってきましたが、このツーリングで初めてのメシです。
疲れているのかメシを食っている時も、あんまり会話が無いです。
メシを食いながら、もうこの辺で止めたい。と言いたかったのですが
「ブラック」(前回、命名したRZ-R君の事です)は黙々とメシを食って
いるので、止めるとも言えずに盛岡を目指す為の「ネジ」を巻いたのでした。
後で聞いたのですが、「ブラック」もこの時に盛岡行きを止めて新潟に
宿泊したい。と思っていたらしく、私が黙ってメシを食ってるので中止
を言えなかったそうです。お互い、ソロツーリングやったら絶対にここで
止めて宿を探してたでしょう。ホンマに意地っ張りな年頃でした。
メシを食ってからリスタートです。しかし新潟県はまだまだ続く。
やっとの事で山形県へ。
当初は秋田県くらいまで日本海沿いに走って、そこから内陸の盛岡へ
という予定だったのですが、時間的に厳しいので山形県のどっかから
内陸に入り、そして東北道の、どっかのインターに。ここから高速に
乗って盛岡を目指す事に変更します。
(詳しく覚えてなくてスイマセン)
2スト250ccの2台は、ツーリングというよりレースをしてる感じで
ガンガン飛ばします。
そして遂に盛岡インターに到着しました。そこから盛岡駅へ。
駅に到着したのは23時30分頃です。
堺の自宅を出発して約20時間。殆ど走り続けて到着しました。
走行距離は、な・な・なんと、1,500Kmでした。
う~ん。一気走りで1,500Kmってのは私のバイク歴で1番
長い距離の走りでした。
盛岡駅で野宿(寝袋)をしようと準備をしていたら駅員さんが来て、
このあたりは明るいけど治安が悪く襲撃される事が多いので
気を付けてネ(非常に軽い調子でね)。
おいおい。そんな危険なとこで野宿するのも怖いので、
どうしようかと相談してたら、盛岡インターを出たところに
芝生の空きスペースがあったのを思い出して、そこで野宿
しようという事になりました。
盛岡駅から移動しようとしたら東京からツーリングに来ていた
人達(3台)を見つけたので話かけると、この人達も寝袋で野宿
するつもりだそうです。駅員さん曰くのデンジャラスな話をしたら
この東京(3人)組も一緒にインターに移動する事になりました。
さてさて、盛岡インターの出口まで戻り寝袋を広げて眠りに。
でもでもでも、ここは虫(主に蚊)が凄くて寝袋から出した顔
をかまれまくり、横を見ると「ブラック」が寝袋に入ったままヘルメットを
被っています。「なるほど」。私もヘルメットを被って寝袋で寝ました(-_-)zzz
確か寝たのは25時頃だったのではないでしょうか。
盛岡まで1,500Kmも走って来たのでクタクタでした。
しかし、2日後の出社するまで帰る事が出来るのか。
限界の時間は、3連休明けの水曜日の朝の5時には堺の
自宅に戻ってないと駄目です。って事は、あと52時間や。
さて、どうなるか。
続く。
2スト250ccレーサーレプリカ(2台)は、普段なら
まず乗らない高速(近畿自動車道)に乗ります。
当時は東大阪(もしかしたら長吉長原)から吹田までしか
開通してなかった近畿自動車道で吹田へ。
でもでも、普段から高速なんか走ってなかったので
吹田ジャンクションあたりで少し行き過ぎて急停車。
押しながらバック(違反?→時効→天丼)。というか
乗らずにゆっくりバックしたんですよ。
なんとか名神高速へ。米原から北陸道へ。
本来ならば名神高速~東名高速~都内~東北道ってルートを
とるところなんですがお盆休みという事で首都圏は渋滞してると
「読み」、あえて日本海側を走る事にして北陸道へ進んだのです。
北陸道っていうても当時は、敦賀くらい(?)までしか
開通してなくて明け方頃には高速から降りて下道[したみち]へ。
R8をひたすら走ります。
途中休憩もせずに給油の為にバイクから降りるだけで
どんどん走ります。福井県→石川県→富山県を過ぎて新潟県に
入りました。しかし、新潟県は長い。いつまで走っても新潟です。
やっと新潟駅に到着したのは、もう16時頃です(日曜日の夕方ね)。
自宅を出発して13時間程経過。しかし、まだ新潟駅です。
15年後に新潟支店に勤務するとは(驚)
新潟駅で、やっとメシを食いました。ここまで給油(その時に小便)を
するだけで走ってきましたが、このツーリングで初めてのメシです。
疲れているのかメシを食っている時も、あんまり会話が無いです。
メシを食いながら、もうこの辺で止めたい。と言いたかったのですが
「ブラック」(前回、命名したRZ-R君の事です)は黙々とメシを食って
いるので、止めるとも言えずに盛岡を目指す為の「ネジ」を巻いたのでした。
後で聞いたのですが、「ブラック」もこの時に盛岡行きを止めて新潟に
宿泊したい。と思っていたらしく、私が黙ってメシを食ってるので中止
を言えなかったそうです。お互い、ソロツーリングやったら絶対にここで
止めて宿を探してたでしょう。ホンマに意地っ張りな年頃でした。
メシを食ってからリスタートです。しかし新潟県はまだまだ続く。
やっとの事で山形県へ。
当初は秋田県くらいまで日本海沿いに走って、そこから内陸の盛岡へ
という予定だったのですが、時間的に厳しいので山形県のどっかから
内陸に入り、そして東北道の、どっかのインターに。ここから高速に
乗って盛岡を目指す事に変更します。
(詳しく覚えてなくてスイマセン)
2スト250ccの2台は、ツーリングというよりレースをしてる感じで
ガンガン飛ばします。
そして遂に盛岡インターに到着しました。そこから盛岡駅へ。
駅に到着したのは23時30分頃です。
堺の自宅を出発して約20時間。殆ど走り続けて到着しました。
走行距離は、な・な・なんと、1,500Kmでした。
う~ん。一気走りで1,500Kmってのは私のバイク歴で1番
長い距離の走りでした。
夜の盛岡駅に到着
盛岡駅で野宿(寝袋)をしようと準備をしていたら駅員さんが来て、
このあたりは明るいけど治安が悪く襲撃される事が多いので
気を付けてネ(非常に軽い調子でね)。
おいおい。そんな危険なとこで野宿するのも怖いので、
どうしようかと相談してたら、盛岡インターを出たところに
芝生の空きスペースがあったのを思い出して、そこで野宿
しようという事になりました。
盛岡駅から移動しようとしたら東京からツーリングに来ていた
人達(3台)を見つけたので話かけると、この人達も寝袋で野宿
するつもりだそうです。駅員さん曰くのデンジャラスな話をしたら
この東京(3人)組も一緒にインターに移動する事になりました。
さてさて、盛岡インターの出口まで戻り寝袋を広げて眠りに。
でもでもでも、ここは虫(主に蚊)が凄くて寝袋から出した顔
をかまれまくり、横を見ると「ブラック」が寝袋に入ったままヘルメットを
被っています。「なるほど」。私もヘルメットを被って寝袋で寝ました(-_-)zzz
確か寝たのは25時頃だったのではないでしょうか。
盛岡まで1,500Kmも走って来たのでクタクタでした。
しかし、2日後の出社するまで帰る事が出来るのか。
限界の時間は、3連休明けの水曜日の朝の5時には堺の
自宅に戻ってないと駄目です。って事は、あと52時間や。
さて、どうなるか。
続く。
2014年7月22日火曜日
【むかし話】弾丸1
この3連休も足の不調の為にバイクに乗る事もありませんでした(涙)
7月下旬ですね。今週末は「鈴鹿8時間耐久」があります。
学生時代は4時間耐久の予選(金曜日)から3日間通ったものです。
(毎日、堺の実家まで寝る為だけに帰る→翌年からは野宿)
今回は耐久の様な弾丸ツーリングの話です。
それは、社会人2年目のお盆の話です。
当時、私が勤めていた会社は今で言う『ブラック企業』でした。
システム開発会社(人材派遣、CADオペレータ、パンチャー業務も)
で徹夜なんかは当たり前で、月・水・金は徹夜で、火・木・土は22時まで
(土曜日も普通に勤務の時代)。な~んてパターンです。
ちなみに徹夜と言っても5時頃から2時間くらいは仮眠するんですがね。
あっ、そうそう、火・木・土は仕事終わりに必ず飲みに行ってました。
という感じで月に通常勤務以外で200時間以上残業してました。
でもでも残業代なんか殆どありません。まさに『ブラック企業』です。
どーん。今なら1発で労基が・・・。
同じ部署(社内で受託開発していたチーム)の同期なんて
10人くらい居たけど半年後には2人になっていました。
(みんな退社。突然、来なくなったヤツもいた)
大阪の「夢見るライダー」さんも、この時の同期です。
彼は運良く外部での仕事をしていました。
私は2年弱で辞めましたが、その企業も今では上場企業。
さて話はバイクに。。。
SeaBreezeはフェードアウトしていましたが、まだバイクにも
乗っていました。でも前述の通り、ブラック企業勤務なので
唯一の休養日である日曜日も寝ている事が多かったです。
ちなみに『SeaBreezeの突一』のRZ-R君が勤めていた会社も
私に負けないくらい、いや私以上の『ブラック企業』(笑)でした。
RZ-R君が勤務していた会社は全国に営業所がありまして。。。
働いていた某所の営業所は、2階に独身寮がありまして、
夜中の24時とか25時まで1日中、奴隷の様に働いていました(涙)。
勿論、休みは日曜日だけです。私と同じやん。
これからRZ-Rクンではなく「ブラックライダー1号」と呼びましょう。
RZ-R改めブラック。
ちなみに独身寮は2DK(6畳×2部屋)に4人で住んどりました。
なんと6畳の部屋に2名が布団を「川の字」というか「Ⅱの字」
に敷いており、私は初めて寮を訪れた時に、あまりの狭さに
「タコ部屋」とは、これなんや。と大いにビックリした記憶があります。
そんな「ブラック1号」でも奇跡的に、お盆休みを2日間(月・火)も
取れて、日曜日と合わせて3日間も連休となりました。
私もなんとか調整して「ブラック1号」の休みと合わせて月・火の
休みを取って3連休にしました(2年目だったので多少は融通OK)。
って事で、2台で久しぶりに泊まりツーリングに行こうや。
という話になりました。でも、お互い忙しくて、どこに行くかも
決めずに当日になりまして。土曜日の夜に我が家(堺市)に集合。
「ブラック」が我が家に来たのは土曜日の23時頃だったと思います。
さて、ここで、どこに行こうかという相談になりました。
いつも通りガンガン走るのではなく信州にでも行き同じ宿に
連泊してのんびりと行こうや。という事になりました。
なんせ、2人とも奴隷(1号と2号)の様に働いていたので
心に余裕がありません。だからのんびりツーリングです。
のんびり信州
高原をゆったり走ろう
と思っていたのですが・・・。
私が、その2年前の大学4年(夏)に北海道のソロツーリングの
帰り(東北の太平洋側を走っていた)に盛岡に寄った時に
「わんこそば」にチャンレンジした事を思い出しまして、その時は
1人だった事もあり54杯しか食べる事が出来ませんでした。
「わんこそば」10杯で通常の蕎麦の1人前だった様な気がします。
(店によっては8杯で1人前とか、12杯で1人前とか色々あります)
そんな話をしてて、何気なく盛岡も面白いなぁ。って言うてたら
ノリで、行ってみる? ホンマ? 行く? マジっ? 面白いやん。
みたいな事になって、日本地図で大よその距離を見たらですね、
大阪~東京が500Kmくらいで、東京~仙台が600Kmくらいです。
まぁ、日本海側を走ったら1,000Kmくらいやから行けない
距離でもないです。学生時代は600~700Kmくらいの日帰り
ツーリングは普通にしてたし、北海道なんかでは1日900Km
とか走ってたので、まぁ大丈夫やろう。という結論になりました。
結局、盛岡に向けて日本海側を突っ走る事に決定しました。
お互い日々の激務のせいでバイクの整備もしてなかったので
チェーンを張ったりしていると私の自宅(堺市)を出発したのは
日曜日の早朝の3時頃でした。
さぁ、3日間の弾丸ツーリングのスタートです。
続く。(新幹線は、もうすぐ京都に到着です)
7月下旬ですね。今週末は「鈴鹿8時間耐久」があります。
学生時代は4時間耐久の予選(金曜日)から3日間通ったものです。
(毎日、堺の実家まで寝る為だけに帰る→翌年からは野宿)
今回は耐久の様な弾丸ツーリングの話です。
それは、社会人2年目のお盆の話です。
当時、私が勤めていた会社は今で言う『ブラック企業』でした。
システム開発会社(人材派遣、CADオペレータ、パンチャー業務も)
で徹夜なんかは当たり前で、月・水・金は徹夜で、火・木・土は22時まで
(土曜日も普通に勤務の時代)。な~んてパターンです。
ちなみに徹夜と言っても5時頃から2時間くらいは仮眠するんですがね。
あっ、そうそう、火・木・土は仕事終わりに必ず飲みに行ってました。
眠くても納期は迫る。
という感じで月に通常勤務以外で200時間以上残業してました。
でもでも残業代なんか殆どありません。まさに『ブラック企業』です。
どーん。今なら1発で労基が・・・。
同じ部署(社内で受託開発していたチーム)の同期なんて
10人くらい居たけど半年後には2人になっていました。
(みんな退社。突然、来なくなったヤツもいた)
大阪の「夢見るライダー」さんも、この時の同期です。
彼は運良く外部での仕事をしていました。
私は2年弱で辞めましたが、その企業も今では上場企業。
さて話はバイクに。。。
SeaBreezeはフェードアウトしていましたが、まだバイクにも
乗っていました。でも前述の通り、ブラック企業勤務なので
唯一の休養日である日曜日も寝ている事が多かったです。
ちなみに『SeaBreezeの突一』のRZ-R君が勤めていた会社も
私に負けないくらい、いや私以上の『ブラック企業』(笑)でした。
RZ-R君が勤務していた会社は全国に営業所がありまして。。。
働いていた某所の営業所は、2階に独身寮がありまして、
夜中の24時とか25時まで1日中、奴隷の様に働いていました(涙)。
勿論、休みは日曜日だけです。私と同じやん。
これからRZ-Rクンではなく「ブラックライダー1号」と呼びましょう。
ちなみに独身寮は2DK(6畳×2部屋)に4人で住んどりました。
なんと6畳の部屋に2名が布団を「川の字」というか「Ⅱの字」
に敷いており、私は初めて寮を訪れた時に、あまりの狭さに
「タコ部屋」とは、これなんや。と大いにビックリした記憶があります。
そんな「ブラック1号」でも奇跡的に、お盆休みを2日間(月・火)も
取れて、日曜日と合わせて3日間も連休となりました。
私もなんとか調整して「ブラック1号」の休みと合わせて月・火の
休みを取って3連休にしました(2年目だったので多少は融通OK)。
って事で、2台で久しぶりに泊まりツーリングに行こうや。
という話になりました。でも、お互い忙しくて、どこに行くかも
決めずに当日になりまして。土曜日の夜に我が家(堺市)に集合。
「ブラック」が我が家に来たのは土曜日の23時頃だったと思います。
さて、ここで、どこに行こうかという相談になりました。
いつも通りガンガン走るのではなく信州にでも行き同じ宿に
連泊してのんびりと行こうや。という事になりました。
なんせ、2人とも奴隷(1号と2号)の様に働いていたので
心に余裕がありません。だからのんびりツーリングです。
のんびり信州
高原をゆったり走ろう
と思っていたのですが・・・。
私が、その2年前の大学4年(夏)に北海道のソロツーリングの
帰り(東北の太平洋側を走っていた)に盛岡に寄った時に
「わんこそば」にチャンレンジした事を思い出しまして、その時は
1人だった事もあり54杯しか食べる事が出来ませんでした。
「わんこそば」10杯で通常の蕎麦の1人前だった様な気がします。
(店によっては8杯で1人前とか、12杯で1人前とか色々あります)
そんな話をしてて、何気なく盛岡も面白いなぁ。って言うてたら
ノリで、行ってみる? ホンマ? 行く? マジっ? 面白いやん。
みたいな事になって、日本地図で大よその距離を見たらですね、
大阪~東京が500Kmくらいで、東京~仙台が600Kmくらいです。
まぁ、日本海側を走ったら1,000Kmくらいやから行けない
距離でもないです。学生時代は600~700Kmくらいの日帰り
ツーリングは普通にしてたし、北海道なんかでは1日900Km
とか走ってたので、まぁ大丈夫やろう。という結論になりました。
結局、盛岡に向けて日本海側を突っ走る事に決定しました。
お互い日々の激務のせいでバイクの整備もしてなかったので
チェーンを張ったりしていると私の自宅(堺市)を出発したのは
日曜日の早朝の3時頃でした。
さぁ、3日間の弾丸ツーリングのスタートです。
続く。(新幹線は、もうすぐ京都に到着です)
2014年7月14日月曜日
【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄8
フェリーは北九州に到着しました。
ここからは、一旦、電車で移動するみんなと別れて1人で
バイクで山口県へ。電車のみんなよりも早く宿に到着。
事情を説明して宿に入れて頂き、畳の部屋で昼寝(-.-)zzz。
写真部のメンバーが到着して後輩達は早速、撮影行軍に
出発ですが我々、3年生は全員、部屋でゴロゴロです。
合宿の2日目は、同期の連中と津和野まで電車で移動して
そこでレンタサイクルをして山陰の小京都を満喫。
(バイクには乗らず)
3日目は、折角、ここまで来てるねんからバイク(当然、1人)で
秋芳洞までミニミニツーリングをして秋芳洞を見学(1人で)
有名な「百枚皿」やね。
当時は「吊るし」の皮ツナギを着ています。
そして写真部の春合宿は終わりました。
合宿の内容を書いても仕方ないし・・・。
合宿期間中に、ず~っと考えていたのですが、このまま1人で
九州を回ってもどうかなぁ~。
って事で九州はヤメて山陰側を走って大阪に戻る事にしました。
なんやかんや言うても私も情けない話ですが一人旅ってのは・・・
実際「心が折れてました」
なので、写真部のみんなと別れて1人で出雲大社を目指します。
行きはフェリーだったので本格的なツーリングは、この時が「初」です。
あいにく天候が悪くカッパでの走りです。R9を走るだけ。
雨中の走行でも200Km程度なので、すぐに着きます。
雨が降ってるので体力的にもキビしいです。
そんなに走ってないのに疲れたので民宿を探して早々に宿泊。
ゆっくり風呂に入って雨で冷えた身体を温めます。
素泊まりの予定だったのですが、腹が減ってきたのと雨がジャージャー
と降っているので急遽、食事(2食とも)付きに変更。
この頃は、今みたいにアルコールを飲みまくっていなかったので
普通にメシを食っておしまい。就寝。
翌日も雨だったので鳥取砂丘を軽く見学してからR29で姫路へ。
そして一気走りで大阪(堺市)まで帰ったのでした。
このツーリングは旅立つ前に2つの大事件があった為にツーリング
内容は貧弱ですいません。
これも、先日、帰省した時に見つけた「旅の記録」です。
汚い字で恐縮ですが、走行距離は、780Kmくらいです。
なんじゃぁこりゃぁ。というしょーもないツーリングですね。
春合宿編(いつから、そんな「編」になったんや)は、ここまで。
ここからは、一旦、電車で移動するみんなと別れて1人で
バイクで山口県へ。電車のみんなよりも早く宿に到着。
事情を説明して宿に入れて頂き、畳の部屋で昼寝(-.-)zzz。
写真部のメンバーが到着して後輩達は早速、撮影行軍に
出発ですが我々、3年生は全員、部屋でゴロゴロです。
合宿の2日目は、同期の連中と津和野まで電車で移動して
そこでレンタサイクルをして山陰の小京都を満喫。
(バイクには乗らず)
CB250RSと姫路クンを除く同期5名。
3日目は、折角、ここまで来てるねんからバイク(当然、1人)で
秋芳洞までミニミニツーリングをして秋芳洞を見学(1人で)
有名な「百枚皿」やね。
当時は「吊るし」の皮ツナギを着ています。
そして写真部の春合宿は終わりました。
合宿の内容を書いても仕方ないし・・・。
合宿期間中に、ず~っと考えていたのですが、このまま1人で
九州を回ってもどうかなぁ~。
って事で九州はヤメて山陰側を走って大阪に戻る事にしました。
なんやかんや言うても私も情けない話ですが一人旅ってのは・・・
実際「心が折れてました」
なので、写真部のみんなと別れて1人で出雲大社を目指します。
行きはフェリーだったので本格的なツーリングは、この時が「初」です。
あいにく天候が悪くカッパでの走りです。R9を走るだけ。
雨中の走行でも200Km程度なので、すぐに着きます。
ちゃんと参拝したのに「縁」が・・・。
雨が降ってるので体力的にもキビしいです。
そんなに走ってないのに疲れたので民宿を探して早々に宿泊。
ゆっくり風呂に入って雨で冷えた身体を温めます。
素泊まりの予定だったのですが、腹が減ってきたのと雨がジャージャー
と降っているので急遽、食事(2食とも)付きに変更。
この頃は、今みたいにアルコールを飲みまくっていなかったので
普通にメシを食っておしまい。就寝。
ここに泊まったのです。 |
翌日も雨だったので鳥取砂丘を軽く見学してからR29で姫路へ。
そして一気走りで大阪(堺市)まで帰ったのでした。
R29(戸倉峠)
このツーリングは旅立つ前に2つの大事件があった為にツーリング
内容は貧弱ですいません。
これも、先日、帰省した時に見つけた「旅の記録」です。
汚い字で恐縮ですが、走行距離は、780Kmくらいです。
なんじゃぁこりゃぁ。というしょーもないツーリングですね。
春合宿編(いつから、そんな「編」になったんや)は、ここまで。
2014年7月10日木曜日
【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄7
リアルな世界(現在)では、ポンコツな私ですが当時は良かった。
な~んて、オヤジの「昔は〇〇〇やった話」を考えながら
過去の世界に逃げている台風近しの今日この頃の私です。
さて、話は30年くらい前に遡って。。。続きです。
第2の事件!
CB250RSを失った私は、理論派の達人と2台での無茶な
ツーリングに行くはめになりました(涙)。怨むぞチャリダー。
なんで直前に事故るねん。理論派のお守りをアテにしてたのに・・・。
中型バイクの超・初心者である姫路クンとの2人ツーリングです。
不安というか、ピンチというか、よく言いますが「ピンチをチャンスに」
なんて事は絶対に無理な話です。アカン・アカン。アク。アカン。
なんせ理論派というか屁理屈派なんでチョー心配です。
そんな事を言っても仕方が無いので、当日は、姫路クンと予定通りに
9時30分頃にソニータワーに集合です。
※今は、「ZARA」がはいっている『ラ・ポルト心斎橋』)になってる。
さてさて、ツーリング当日です。
私は何時も通り、朝の9時過ぎにはソニータワーに到着しました。
しかし、姫路クンは来ません。
「またかいなぁ~。」と思いつつ、我慢して待ってます。
姫路クンは、時間にルーズな人でして(*_*)。
(宴席でも調子に乗って毎回ツブれる。関係ないか)
到着してから、30分くらい待ったのですが来ません。
彼は大学(長瀬)近くの学生寮に住んでおり、寮には公衆電話が
1台あるだけなんですが、その公衆電話に私もソニータワー近くの
公衆電話から電話しました。
なんせ携帯電話なんか影も形も無い時代ですので。しやーないね。
この寮の公衆電話は学生寮にお決まりの通り、いくら鳴らしても
電話には誰もデンワ(照)
そりゃぁ、自分宛はめったに掛かってこないのに出ても損。って感じ。
いつも30回くらい鳴らさないと駄目なんです。
それも1階の入り口付近の部屋の人(公衆電話は1階入り口に設置)
が出てくれる程度で2階の部屋に住んでいた姫路クンが出る事は
まずありえません。
しかし、この時は1コールで出ました。「『本気』と書いて『マジっ』と読む」
なんと、姫路クンが出ました。
なんでやね~ん。なんで姫路クンが出るねん。それも1コールで。
事情を聞くと、な・な・なんと、当日の朝に姫路クンが出発しようとして
荷物を持ってバイク置き場に行くと、CB250RS-Z(元は私のバイク)が
無くなっていたそうです。
そうなんです。ツーリングに行く当日にパクられちゃいましたぁ~。
記憶によれば、ハンドルロックをしてなかったから簡単にパクられた。
と思います。そりゃぁ、ショックでしょうね。
直ぐに警察に電話をして対応してもらったそうです。
でもでも、そんなに簡単に見つかる訳ないよね。残念!
CB250RS-Zを姫路クンに渡したのがツーリングに行く4日前で
(CB250RSが事故る前の日やね)、姫路クンはCB250RS-Zに
殆ど乗る事もなくパクられたのでした(涙・涙・涙・笑・笑・大笑)。
それで、仕方なく姫路クンは、学生寮の公衆電話の前で私からの
電話を待っていたそうです。
当然の事なのですが、姫路クンもツーリングに行く事が出来なく
なりました。私としては、チャリダーのCB250RSを借りてでも行って
欲しい所ですが、そこまで姫路クンに無理を言って2人で行くのも
なんなんで、渋々というか晴れ晴れとした気持ちで姫路クンの欠席を
了解しました(しゃーなわね)。
えらいこっちゃ、結局、ソロツーリングで山口県(『萩・津和野』)までの
約500Kmを徹夜で走らなアカンやん。別にかめへんけど・・・・。
気を取り直して、とりあえず合宿の集合場所である神戸・糸崎の
フェリーターミナルまで行きました。夕方、出航なのに1年生は午前中に
集合しています(というか、集合させられています)
そんな所にツーリングの格好をした先輩(私ね)が登場しました。
後輩達と、「CB250RSの怪我の話」や「姫路クンの盗難話」で
盛り上がってると同期のヤツらも来ました。
そんなこんなでフェリーターミナルでくつろいでいると、なんか1人で
R2を徹夜で走るのが虚しくなってきて・・・。
渉外担当(会社で言うところの営業)と企画担当(会社で言うところの総務)
の後輩に無理を言って、フェリーに乗せてもらえないか。という話になり・・・。
上手く交渉してもらい1名追加で乗船出来る事になりました。
(バイクも手荷物扱いなので追加での積み込みは全然OK)
これで北九州までは、写真部のみんなとノンビリと移動する事が
出来る様になりました。
ラッキー(ってラッキーなのかなぁ? ツーリングのはずが・・・。)
そこに、な・な・なんと、バイクをパクられた姫路クンが登場。
『おっ、流石に軍師・官兵衛と同じ播州人。パクられてもフェリーで参加や』
と思ったら、官兵衛さん程、肝がすわってる訳もなく、単純にヒマやから
見送りに来た。との事でした。
おいおい、フェリー乗り場まで来てるねんから参加しよーぜ。
と同期にも後輩にも言われたのですが、カメラも着替えも何も持ってきて
無いのでアカン。の1点張りでした。要する「心が折れた」姫路クンです。
結局、夕方になり、フェリーは出航です。姫路クンは岸壁から出港する
我々を見送ったのでした。紙テープはありませんでしたが・・・。
その頃、花園(?)の病院では、CB250RSが
♪きしむベッドの上で 優しさを持ちよりきつく躰~♪
って感じで旅立ったライダー2名(私と姫路クン)の事を考えて
足を固められたまま寝ていたはずです(多分ね)。
ちなみに当日か翌日か忘れましたがCB250RSが病院のベットで
マンガ(デューク東郷)を読んでると姫路クンが突然、登場!
そりゃぁ、春合宿に行ってるはずの姫路クンが表れたのですから
ビックリですわな。事情説明を聞いてCB250RSは自分の事は棚に上げて
大爆笑だったそうです。ちゃんちゃん。
フェリーは一路、北九州へ。
結局、ソロツーリング(行きはフェリー)になった私。さて、どうなる。
な~んて、オヤジの「昔は〇〇〇やった話」を考えながら
過去の世界に逃げている台風近しの今日この頃の私です。
さて、話は30年くらい前に遡って。。。続きです。
第2の事件!
CB250RSを失った私は、理論派の達人と2台での無茶な
ツーリングに行くはめになりました(涙)。怨むぞチャリダー。
なんで直前に事故るねん。理論派のお守りをアテにしてたのに・・・。
中型バイクの超・初心者である姫路クンとの2人ツーリングです。
不安というか、ピンチというか、よく言いますが「ピンチをチャンスに」
なんて事は絶対に無理な話です。アカン・アカン。アク。アカン。
なんせ理論派というか屁理屈派なんでチョー心配です。
そんな事を言っても仕方が無いので、当日は、姫路クンと予定通りに
9時30分頃にソニータワーに集合です。
※今は、「ZARA」がはいっている『ラ・ポルト心斎橋』)になってる。
当時の「ソニータワー」
今は「ラ・ポルト心斎橋」
さてさて、ツーリング当日です。
私は何時も通り、朝の9時過ぎにはソニータワーに到着しました。
しかし、姫路クンは来ません。
「またかいなぁ~。」と思いつつ、我慢して待ってます。
姫路クンは、時間にルーズな人でして(*_*)。
(宴席でも調子に乗って毎回ツブれる。関係ないか)
到着してから、30分くらい待ったのですが来ません。
彼は大学(長瀬)近くの学生寮に住んでおり、寮には公衆電話が
1台あるだけなんですが、その公衆電話に私もソニータワー近くの
公衆電話から電話しました。
なんせ携帯電話なんか影も形も無い時代ですので。しやーないね。
この寮の公衆電話は学生寮にお決まりの通り、いくら鳴らしても
電話には誰もデンワ(照)
そりゃぁ、自分宛はめったに掛かってこないのに出ても損。って感じ。
いつも30回くらい鳴らさないと駄目なんです。
こんな電話でした。 |
それも1階の入り口付近の部屋の人(公衆電話は1階入り口に設置)
が出てくれる程度で2階の部屋に住んでいた姫路クンが出る事は
まずありえません。
しかし、この時は1コールで出ました。「『本気』と書いて『マジっ』と読む」
なんと、姫路クンが出ました。
なんでやね~ん。なんで姫路クンが出るねん。それも1コールで。
事情を聞くと、な・な・なんと、当日の朝に姫路クンが出発しようとして
荷物を持ってバイク置き場に行くと、CB250RS-Z(元は私のバイク)が
無くなっていたそうです。
そうなんです。ツーリングに行く当日にパクられちゃいましたぁ~。
記憶によれば、ハンドルロックをしてなかったから簡単にパクられた。
と思います。そりゃぁ、ショックでしょうね。
直ぐに警察に電話をして対応してもらったそうです。
でもでも、そんなに簡単に見つかる訳ないよね。残念!
CB250RS-Zを姫路クンに渡したのがツーリングに行く4日前で
(CB250RSが事故る前の日やね)、姫路クンはCB250RS-Zに
殆ど乗る事もなくパクられたのでした(涙・涙・涙・笑・笑・大笑)。
それで、仕方なく姫路クンは、学生寮の公衆電話の前で私からの
電話を待っていたそうです。
当然の事なのですが、姫路クンもツーリングに行く事が出来なく
なりました。私としては、チャリダーのCB250RSを借りてでも行って
欲しい所ですが、そこまで姫路クンに無理を言って2人で行くのも
なんなんで、渋々というか晴れ晴れとした気持ちで姫路クンの欠席を
了解しました(しゃーなわね)。
えらいこっちゃ、結局、ソロツーリングで山口県(『萩・津和野』)までの
約500Kmを徹夜で走らなアカンやん。別にかめへんけど・・・・。
気を取り直して、とりあえず合宿の集合場所である神戸・糸崎の
フェリーターミナルまで行きました。夕方、出航なのに1年生は午前中に
集合しています(というか、集合させられています)
そんな所にツーリングの格好をした先輩(私ね)が登場しました。
後輩達と、「CB250RSの怪我の話」や「姫路クンの盗難話」で
盛り上がってると同期のヤツらも来ました。
そんなこんなでフェリーターミナルでくつろいでいると、なんか1人で
R2を徹夜で走るのが虚しくなってきて・・・。
渉外担当(会社で言うところの営業)と企画担当(会社で言うところの総務)
の後輩に無理を言って、フェリーに乗せてもらえないか。という話になり・・・。
上手く交渉してもらい1名追加で乗船出来る事になりました。
(バイクも手荷物扱いなので追加での積み込みは全然OK)
これで北九州までは、写真部のみんなとノンビリと移動する事が
出来る様になりました。
ラッキー(ってラッキーなのかなぁ? ツーリングのはずが・・・。)
そこに、な・な・なんと、バイクをパクられた姫路クンが登場。
『おっ、流石に軍師・官兵衛と同じ播州人。パクられてもフェリーで参加や』
と思ったら、官兵衛さん程、肝がすわってる訳もなく、単純にヒマやから
見送りに来た。との事でした。
おいおい、フェリー乗り場まで来てるねんから参加しよーぜ。
と同期にも後輩にも言われたのですが、カメラも着替えも何も持ってきて
無いのでアカン。の1点張りでした。要する「心が折れた」姫路クンです。
結局、夕方になり、フェリーは出航です。姫路クンは岸壁から出港する
我々を見送ったのでした。紙テープはありませんでしたが・・・。
その頃、花園(?)の病院では、CB250RSが
♪きしむベッドの上で 優しさを持ちよりきつく躰~♪
って感じで旅立ったライダー2名(私と姫路クン)の事を考えて
足を固められたまま寝ていたはずです(多分ね)。
ちなみに当日か翌日か忘れましたがCB250RSが病院のベットで
マンガ(デューク東郷)を読んでると姫路クンが突然、登場!
そりゃぁ、春合宿に行ってるはずの姫路クンが表れたのですから
ビックリですわな。事情説明を聞いてCB250RSは自分の事は棚に上げて
大爆笑だったそうです。ちゃんちゃん。
フェリーは一路、北九州へ。
結局、ソロツーリング(行きはフェリー)になった私。さて、どうなる。
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