2014年6月28日土曜日

小田原。

今日は天気も良いので早朝からバイクで箱根に来て峠を
攻めた後に、のんびりと温泉に入っています。


な~んて、思っていると目が覚めました。
ここはどこ? 体が痛い。 リクライニングソファや。
回りを見るとリクライニングソファに沢山の人が寝てる。

目を閉じて冷静に思い出すと・・・・。

そうか、昨日は2人の酒豪と横浜で飲んで、1人帰った
あたりまでは覚えているが。もう1人と、もう1軒行って。。。

気付いたら駅のベンチやって、看板を見ると「小田原」
『ガ~ン』、またまた、やってもた。

戻る電車(東京行き)はなく、タクシーだと茅ヶ崎まで
1万5千円から2万円やしなぁ。
仕方が無い、常宿(?)の温泉施設(「万葉の湯」)に
行くか。って事で入ったんや。

という事で、のんびりと温泉に入ってきました。
「万葉の湯」を出ると雨が降ってるし。。。
小田原駅の立ち食いソバで「汁もん」を食って一息。

只今、東海道線で茅ヶ崎に戻っている真っ最中。
雨だし、バイクはお預け。GW前半に乗ってから
はや2ヶ月。放置バイクになってます。

今回がバイクの話はなく泥酔者の話でした。

バイクだけに、ブンブン。  Byバイク川崎バイク。


ウップ。吐くかも。。。大磯ロングビーチく。

2014年6月24日火曜日

【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄4

我々の中で仲間が峠を走り始めた頃です。

この当時は、SeaBreezeの№3である、CBX400の◯川さんが
峠では1番、速かったと思います。街中での走りでは私とCB250RSの
ツートップがダントツでしたが(自慢)。

当時、CBX400は西宮に住んでいたので仲間に内緒で、よく
六甲山へ早朝トレーニングに行ってたそうです。
なので、 私もCB250RSもCBX400に六甲山を教えてもらったのです。

今も同じと思うのですが有料の表六甲も裏六甲も上り口のところに
料金ゲートがあったので、一般道の夙川から甲陽園の通って
六甲山に上ってサンライズドライブウェイ(多分)から表六甲を下って、
表六甲の料金所のところでUターンして再び上に。これなら無料!

それと気分によっては裏六甲にも行きましたが、裏六甲も同様に
料金所のところでUターンです。
なんせ学生ですので無料が1番です。

CBX400は、ノーマルだったのでバンクさせ過ぎるとステップをガリガリ
と擦ってしまうのです。CBX400のステップは可変なので◯川さんは
コーナーではIN側のステップを立てた状態で走ります。
この時は正直、「すげぇ」と思っていました。


ここで面白い話を1つ。青山高原に走りに行った時の話です。
この時、私は参加していなかったのですがメンバーは4名。
  №2のCB250RS、
  №3のCBX400、
  №4(カメ)のGSX250E、
  №7(初登場)のCBX400インテグラ

当時はCB250RSは、まだまだ大人しくしていて、№3・CBX400が
優位を保っていました。青山高原まで走って頂上の方で休憩して
「さて、帰るか」となった時に、ダウンヒルで事件が。

順番は、CBX400→GSX250E→CB250RS→CBX400インテグラです。
先頭のCBX400は、いつも通りにIN側のステップを立てたまま凄い
スピードでバイクをバンクさせて走っていたそうです。

当時はバンクさせればさせる程、高速でコーナーをクリアできる。
と考えていました。普通に考えれば限界はあるねんけどネ。


ちなみに№4のカメさんは、典型的な「子分気質」で親分役のCBX400
の後を「金魚のフン」みたいに付いていくタイプです。
私の会社にも「子分気質」の人が大阪・本町に居ますが・・・。
カメさんは免許取得は勿論、バイク購入もCBX400さんの後を常に
追いかけています。

当然、バイクで走る時も同じで「親分」のCBX400が行くところならば
必ず、「子分」のGSX250Eはついていきます。


話は戻って、青山高原のダウンヒルです。青山高原の最終コーナー
(コーナーを抜けると直ぐに一時停止がありR165に突き当たります)
に突入する時です。CBX400はガリガリしながら右コーナーをクリア。
その後に続くのは、GSX250Eです。同じスピードで突っ込みます。
№4のGSX250Eの、『クソ度胸』はピカイチです。

事件は赤丸のところで発生しました。

ここで残念なお知らせです。
GSX250Eのステップは固定式です。CBX400の様に可変ではないのです。
昔のバイクはステップ固定式のものが多かったです。

さて、青山高原の最終コーナーをCBX400を同じスピードで突っ込んで
ウルトラバンク~。前を走るCBX400はステップを立ててクリアしますが、
GSX250Eステップは固定です。ガリガリ~クリア。とはいかずにガリ。
ガ~ン。グル~ン。グル~ン。グル~ン。ド~ン。

何が起こったかというと、御想像の通りGSX250Eはバンクさせ過ぎて
固定ステップが起点となり『コマ』の様にグル~ン。と大回転~~~。











カメさんは、バイクごと飛ばされました。どーかーん。

私は実際、見てないので、いまいち臨場感のある話が出来ませんが
№4のGSC250Eの『クソ度胸』による『コマ』事件としてSeaBreezeでは
後々まで語り継がれるのでした。

なんせ当時の赤いCB400は速かったです。ホンマに凄かったでぇ。
しかし、1年もしないうちのに私とCB250RSに肉薄されて簡単に
追い抜かれたのです。ちゃんちゃん。残念!

だからかどうか知りませんがCBX400は、こっそり「限定解除」を受験して
何回目かに合格してCBX400からGS650Gに乗り換えたのでした。
まぁ、大排気量に逃げたんすわ(笑)

大排気量になった№3は、どっしりかまえた大人走りになってしまい
街中での無茶走りや中低速の峠ではCBX400時代よりも遅くなり・・・。
全然、脅威を感じる事なく、平凡な№3となったのでした。残念!

後日、GS650Gは同じく青山高原で豪快にやっちゃいました。
(SeaBreeze編の最終回の「おまけ」の大空へのジャンプを参照)

それでも№3さんは、SeaBreezeでは3番目の速さでしたヨ。
フォロー・フォロー・フォロー。フォローになってるかな。


しかし、早くリターンしてくれへんかな・・・・。

2014年6月19日木曜日

【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄3

峠での走りにも目覚めてきた頃です。
そろそろCB250RS-Zから、もう少しパワーのあるバイクが
欲しくなってきました。

古くから連載している「750ライダー」は勿論の事ですが
「あいつとララバイ」とか「ふたり鷹」なんてマンガがガンガン
やってます。この時点では「バリバリ伝説」は連載開始して
いませんでした。

そしてジャンプかプレイボーイかで連載が開始されたマンガ
「街道レーサーGO」で主人公が乗ってるYAMAHA RZ350
が750ccのバイクを餌食にしてガンガン走っていてエエなぁ。
と思っていました。私はHONDA派なんですがHONDAには
中型の2ストが無かったと思います。

そんな時です。私の好きなHONDAから2スト250ccのレーサー
レプリカのMVX250Fが発売されるという記事を見ました。
「これや!」って事で即・購入決定!

当時、OPENしたての「RSタイチ」の阪名道路(上り)の店に
注文しに行きました。この店舗って本店なんですね。
私は、「赤黒」のカラーリングがシブいと思っており、これを注文
する予定です。
「トリコロール」

「赤黒」

「青白」

注文当日、CB250RSと一緒にRSタイチに行ったのですが、入り口で
小学生が、展示してあるMVX250Fを見て、このバイクのカラーリングは
やっぱし、この色(「トリコロール」)が格好エエなぁ。
「そうや。そうや」という声が聞こえてくるじゃないですか。

直感。というか若い感性に刺激されて、注文の5分前にカラーリングを
「赤黒」から「トリコロール」に変更しちゃいました。
CB250RSは、「小学生の意見でカラーリングを変えるなんて・・・」
と、注文している私の横で呆れてます。


そして暫くした1983年2月28日にMVX250Fが納車となりました。
(先日、実家で発見したノートに記載してあったので納車日が特定)

納車日はCB250RSに2ケツして「RSタイチ」に行きました。
一通りの説明を受けて出発。直ぐに阪名道路を上ってひとっ走りです。
たしか、この頃には阪名道路も無料になっていたので奈良方面まで
走った様な気がします。

初めて乗る2ストのエンジンは、そりゃぁ扱いにくくて。。。
まずはクラッチを上手くミートさせないと発進が遅い遅い。
CB250RS-Zなんか適当にクラッチをつないだらトルクがあるから
ぐい~ん。と発進します。でもMVX250Fはタイミングが大事です。

それ以上にビックリだったのはエンジンブレーキという概念が存在
しない事です。2ストだから当たり前なんですが、コーナーに突っ込む
時には、思いっきりブレーキをかけてスピードを緩めないと恐いです。
そうすると立ち上がりが全然プーで。
ちゃんとギアを落としながら回転数を上げて立ち上がりに備えないと
駄目です。こんなん2ストに乗るのなら当たり前田のクラッカーな話
なんですが当時は2スト初心者なので全然駄目でした。

しかし納車当日の話とはいえ、こんなに乗りにくいと思ったバイクの
MVX250Fで峠を走り回って、更に沖縄を除く日本国内をツーリングで
走る事になるなんて予想もしませんでした。
北海道一周には2回行ってるし。社会人になってからの2泊3日の
弾丸ツーリングもしてるし。

しかし、初めての2ストには驚かされっぱなしでした。


では。

2014年6月12日木曜日

【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄2

写真部の同期の中でバイクが流行りだしました。
というか世間がバイクに注目です。そう『バイクブーム』到来です。

バリ伝もエエ感じで連載!

子守唄の方はノーヘル。


「SeaBreeze」の№3の〇川クンも赤のCBX400を購入しました。
同時にCBX400の相棒カメさん(典型的な子分気質な)も親分の
CBX400を見習って、バイク(GSX250)を購入。
他にもCBX400インテグラを買ったヤツとか。
 
№3のCBX400

№4(カメさん)のGSX250

そして遂にR&Pも中型免許を取得して中型バイクを購入。
車種は、CB250RS(私のCB250RS-Zのセル無しタイプ)です。

元チャリダー(R&P)から出世したCB250RS


これで、原付の「R&P」から中型の「CB250RS」にレベルUP。
こいつのレベルUPのスピードはハンパない。

やったなチャリダー。やったなR&P。頑張れR&P。変な形のバイクR&P。
頑張れCB250RS。事故るなよCB250RS。パクられるなCB250RS。
「突一」は、まだまだ遠いぞCB250RS。でもチャリダーの方が語呂がエエ。

この頃から2台のCB250RS(私はセル付の「-Z」)は単気筒のトルクと
250ccの身軽さを全面に出して市街地の道路を右へ左へ、
車の間をすり抜けて走り回っていました。
峠ではまだまだですが、街乗りなら、それなりに無敵でした。
プレスライダー(今で言うところのバイク便やね)を見つけたら
追いかけ回して(勝手に)勝負して遊んでました。


勿論、そんな走りしている訳ですから事故らないハズもなく。
「SeaBreeze」編を御覧になられた方には十分、理解して頂けてるかと
思いますが、よく転び・よく事故り・よく車に当たり・そしてよく捕まりました。

ある日、堺の自宅から堂島にあるバイト先に向かっている時にR26を
北上して、難波から四つ橋筋になったあたりで路肩走行(高速で走行)を
している時に前を走っていた乗用車が突然、ウィンカーも出さずに左折。
急ブレーキ。後輪がロック。自然とリヤタイヤがスライド。
やべぇ。そのまま乗用車の横っ腹(助手席側)に激突~っ。

と思ったら咄嗟に右足が出ており乗用車の横っ腹(助手席側)に
ケリを入れて車とバイクは激突する事もなく停車。奇跡!
(後にグンが「ガードレール・キック・ターン」として多用。ウソ。)

直ぐに大きな声で、「ア◯んだら~っ」と言うと運転していた
真面目そうなオジサン(後部座席には子供)がきょとんとしています。
(多分、助手席には誰も乗ってなかったと思うが)

こっちには被害が無いけど、車はドアがペコ~ンと凹んでるし。。。
面倒はゴメンだったしバイトもあったので、速攻で走り去りました。
(逃げるが勝ち)。警察ざたになっても、こっちの勝ちやねんけどね。
これは許容範囲かな・・・。時効。


-----<ちょっと横道>------------------------------------------------------
ここで出てくるバイトは我が写真部の先輩から代々、引き継がれる
バイトで御中元とお歳暮シーズンだけなのですが結構、エエ感じ
のバイトです。有名飲料メーカーの大阪本社直属のバイトです。

この会社のエライ人が取引先に送る御中元・お歳暮の品を包装
するのです。送る商品は当然、自社のウィスキーがメインです。
バブル前の頃ですが1シーズン(1ヶ月程)にバイト(5~6人)で
終日、のしを貼ってから包装をするのです。
だから、ドえらい量です。流石、有名飲料メーカーです。
------------------------------------------------------------------------------


例のCB250RS(チャリダーね)も、このバイトに向かう途中で
中央大通り(大阪)で、いつもの様に走行車線と追い越し車線の間や
路肩走行を高速で走行してて渋滞(走っている側の車は停車)している
交差点で対向車線から右折してきた車と衝突。ド~ン。
   典型的なパターンやね。

相手の車は、有名な会社の社長さんか会長さんでした。
結局、修理代から何から全てを出してもらい、CB250RSが以前よりも
綺麗になってました。不思議? エエぞチャリダー。
当時、我々はCB250RSの事を「当たり屋」と呼んでました(笑)


続く。

2014年6月8日日曜日

【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄1

今、都島(大阪)のマクドで時間調整兼朝飯中。
まゆゆ1位でしたね。オヤジでもアイドルは気になる。


さてさて子守唄という事でして。
大学編になるとは。。。大学の部分は記憶がゴチャゴチャなので
「突一」と「№3」にイベント時期をメールで確認中です('ω')


大学に入学して友人に誘われて写真部に入部しました。
高校時代から写真部だったので自然の流れでした。
ここで、「突一」のRZ-Rと出会うのです。しかし、この時は
「突一」ではなく、チャリンコで通学しているチャリダーでした。
なので「突一」ではなく「チャリダー」と呼びましょう。
チャリダーは、こんなんやった様な。

他にはkawasakiのZ250FTに乗っていた岡山県出身のヤツ
なんかも居ました。当時の写真部で原付以外のバイクに
乗っていた同期は、Z250FTだけじゃなかったっけ。
 


大学入学当時は車(ランサー)にばかり乗っていました。

なかなかエエ感じで走るヤツでした。


バイクも、そろそろCB50からのステップアップもしたいなぁ。
と思っておりまして、順番が逆なのですが車の免許を取ってから
バイクの中型免許を教習場で取得しました。
そうなると中型バイクが欲しくなるってもんです。

そして、私の2代目の相棒になったのは、神戸尊(及川光博)
ではなく、HONDAのCB250RS-Zでした。
それまで乗ってたCB50は写真部の同期に売りまして、その同期は
ライダーなら誰でも知っている有名な〇ッ〇バ〇ンに就職して
現在は、なんとブラジル在住だそうです。
CBR1000RR購入時には若干の影響ありかな。

そして「チャリダー」も1年の夏頃にR&P(原付)を購入したのでした。
おめでとうチャリダー。やったなチャリダー。頑張れチャリダー。
ここから暫くは、「チャリダー」ではなく「R&P」と呼びます。
(僅か17行で出世しました。やったなR&P。)


我々が2年生の時に室生寺(奈良県)に行った時のスナップです。
この写真を探すには苦労しました。ダムのとこやった記憶が。

左からR&P、CB50、CB250RS-Z。


続く。

2014年6月2日月曜日

【むかし話】ハイスクールララバイ4

色々なエピソードがあるはずなんですが、あんまり思い出せません。
なんせ36年くらい前(浜崎あゆみサンが生まれた年)なもんで・・・。
という事でハイスクールララバイは今回で最終回です。ドン!


私は高校2年と3年の2回、年末年始に郵便局でアルバイトをしてました。
よくある年賀状の配達バイトです。今回は、この時の相棒の事を。

1回目(高校2年の時)の配達はチャリンコだったのですが2回目(高3)は
バイクでの配達に格上げになりました。
理由は、3年の時は入試の為にバイトはやらないつもりだったのですが
「推薦」で合格しちゃったので12月に入ってから急遽バイトに応募しました。
普通ならば1年前と同じ地区になるのですが既に新しいバイト君が決まって
いた為で同じ地区の担当になるのはダメでした。

でも経験者だったので採用されました。そして配達地区は、その郵便局が
管轄する地域の極限に遠いところです(最果ての地)。
例えるなら、地球からイスカンダル(大マゼラン星雲)くらいの距離がある
とこで二上山のふもとです(竹ノ内峠を越えると、そこは奈良県)

初日はチャリンコで配達したのですが、配達地域まで行くのにも1時間近くも
掛かり、配達地域は坂も多くて配達自体がチャリでは、超・厳しいとこです。
イスカンダルではなく放射能満載のガミラスみたい。

なので局に直訴したら特別にYAMAHA Mate50を手配してくれて、
翌日からはバイクで配達する事になりました。ラッキー。
 Mate50は、本当の相棒ではないのですが陣川警部補(原田龍二)みたいな
ちょっとドジな私の頼もしい相棒でした。
ちなみに郵便局なので毎日、整備点検があり邪魔くさかったのですが
そのうちに慣れました。ガソリンは郵便局近くの契約しているスタンドで給油。
この時、給油したガソリンには、大変お世話になりました。



バイトのパターンは、郵便局に出勤して、出勤印を押してからMate50で出動。
殆どのバイト仲間達はチャリンコなのでバイクでの出動は、ちょっと優越感。
郵便局から配達地域まで◯◯Kmで飛ばして、直ぐに到着(若干違反→時効)
流石にMateでは転倒も含めて事故はありません(公式には)
配達もバリバリとこなして、14時~15時頃に配達から戻って、そこからは
郵便物の仕分けです。

今では郵便番号の自動読み取り選別機でやっていますが当時は目と手で
コツコツと仕分けをしていました。
配達地域ごとに100個くらいの小さい地区に仕分けをするのです。そして
その小さい分別を家ごとに配達しやすい様に並べて輪ゴムでとめていくのです。
これで翌日の配達の準備完了。


当時は、こんなBOXに人間仕分け
 
   
今では、超高速で機械仕分け

12/25くらいまでは余裕の仕分け作業だったのですが年賀状が本格的に局に
届きだす頃には残業してました。こうして元旦に皆さんの家に年賀状が届く
のです。感謝しましょう。

この時、同じバイト仲間(女子高生)とおしゃべりしながらの「分け分け」が
楽しくって。配達の寒さツラさを忘れさせてくれました。なんの話や。


配達地域が僻地なもんでポスト郵便の回収もしてました。


元旦の配達なんですが、想像通り膨大な量です。通常の配達の3倍~4倍
もあります。通常でもカバン(前)とBOX(後)が満載なので年賀状の時は
全てを積める訳ありません。
我々の時は12/31の午後に郵便局の車で配達地域の周辺まで元日に配達
する年賀状(大きな配送BOXに3~4箱分)を運び保管していました。
保管場所は、配達地域に小さい郵便局がある場合は、そこに。無い場合は
懇意にしている人の自宅に。

なので元日はバイト達は「手ぶら」で配達地域まで行き、そこで荷物を積んで
配達をしていました。ここで問題だったのは、バイト君達は元日に配達を
したくない(初詣や遊びがある)ので除夜の鐘を聞いて年が明けたら
夜のうちから配達する事が頻発していました。これはこれで色々と問題が
あり、元日はバイト君達に直行で配達地域まで行かせるのではなく一旦、
郵便局に集合させてから配達に出発するスタイルに変更されました。

そんな有意義な郵便局バイトも終わった頃(高校3年の1月)から
教習所(車)に通い出して普通免許を取得しました。
2月下旬には免許を取って3月には中古の車(ランサー)を買って少し
バイク(CB50)から離れていったのでした。
でも時々は、CB50にも乗ってたかな。


最終回なのに郵便局のバイトの話ばっかでしたねぇ。
なので、大学生時代の「ギザギザハートのきんだい子守唄編」に続く。

(げっ、まだ続くの)