2014年7月29日火曜日

【むかし話】弾丸2

深夜3時(日曜日の朝っすね)に堺市を出発した
2スト250ccレーサーレプリカ(2台)は、普段なら
まず乗らない高速(近畿自動車道)に乗ります。

当時は東大阪(もしかしたら長吉長原)から吹田までしか
開通してなかった近畿自動車道で吹田へ。
でもでも、普段から高速なんか走ってなかったので
吹田ジャンクションあたりで少し行き過ぎて急停車。

押しながらバック(違反?→時効→天丼)。というか
乗らずにゆっくりバックしたんですよ。

なんとか名神高速へ。米原から北陸道へ。

本来ならば名神高速~東名高速~都内~東北道ってルートを
とるところなんですがお盆休みという事で首都圏は渋滞してると
「読み」、あえて日本海側を走る事にして北陸道へ進んだのです。

北陸道っていうても当時は、敦賀くらい(?)までしか
開通してなくて明け方頃には高速から降りて下道[したみち]へ。
R8をひたすら走ります。

途中休憩もせずに給油の為にバイクから降りるだけで
どんどん走ります。福井県→石川県→富山県を過ぎて新潟県に
入りました。しかし、新潟県は長い。いつまで走っても新潟です。

やっと新潟駅に到着したのは、もう16時頃です(日曜日の夕方ね)。
自宅を出発して13時間程経過。しかし、まだ新潟駅です。

15年後に新潟支店に勤務するとは(驚)

新潟駅で、やっとメシを食いました。ここまで給油(その時に小便)を
するだけで走ってきましたが、このツーリングで初めてのメシです。
疲れているのかメシを食っている時も、あんまり会話が無いです。

メシを食いながら、もうこの辺で止めたい。と言いたかったのですが
「ブラック」(前回、命名したRZ-R君の事です)は黙々とメシを食って
いるので、止めるとも言えずに盛岡を目指す為の「ネジ」を巻いたのでした。

後で聞いたのですが、「ブラック」もこの時に盛岡行きを止めて新潟に
宿泊したい。と思っていたらしく、私が黙ってメシを食ってるので中止
を言えなかったそうです。お互い、ソロツーリングやったら絶対にここで
止めて宿を探してたでしょう。ホンマに意地っ張りな年頃でした。

メシを食ってからリスタートです。しかし新潟県はまだまだ続く。

やっとの事で山形県へ。
当初は秋田県くらいまで日本海沿いに走って、そこから内陸の盛岡へ
という予定だったのですが、時間的に厳しいので山形県のどっかから
内陸に入り、そして東北道の、どっかのインターに。ここから高速に
乗って盛岡を目指す事に変更します。
(詳しく覚えてなくてスイマセン)

2スト250ccの2台は、ツーリングというよりレースをしてる感じで
ガンガン飛ばします。

そして遂に盛岡インターに到着しました。そこから盛岡駅へ。
駅に到着したのは23時30分頃です。
堺の自宅を出発して約20時間。殆ど走り続けて到着しました。
走行距離は、な・な・なんと、1,500Kmでした。
う~ん。一気走りで1,500Kmってのは私のバイク歴で1番
長い距離の走りでした。
夜の盛岡駅に到着

盛岡駅で野宿(寝袋)をしようと準備をしていたら駅員さんが来て、
このあたりは明るいけど治安が悪く襲撃される事が多いので
気を付けてネ(非常に軽い調子でね)。

おいおい。そんな危険なとこで野宿するのも怖いので、
どうしようかと相談してたら、盛岡インターを出たところに
芝生の空きスペースがあったのを思い出して、そこで野宿
しようという事になりました。

盛岡駅から移動しようとしたら東京からツーリングに来ていた
人達(3台)を見つけたので話かけると、この人達も寝袋で野宿
するつもりだそうです。駅員さん曰くのデンジャラスな話をしたら
この東京(3人)組も一緒にインターに移動する事になりました。

さてさて、盛岡インターの出口まで戻り寝袋を広げて眠りに。
でもでもでも、ここは虫(主に蚊)が凄くて寝袋から出した顔
をかまれまくり、横を見ると「ブラック」が寝袋に入ったままヘルメットを
被っています。「なるほど」。私もヘルメットを被って寝袋で寝ました(-_-)zzz




確か寝たのは25時頃だったのではないでしょうか。
盛岡まで1,500Kmも走って来たのでクタクタでした。
しかし、2日後の出社するまで帰る事が出来るのか。

限界の時間は、3連休明けの水曜日の朝の5時には堺の
自宅に戻ってないと駄目です。って事は、あと52時間や。

さて、どうなるか。


続く。

2014年7月22日火曜日

【むかし話】弾丸1

この3連休も足の不調の為にバイクに乗る事もありませんでした(涙)
7月下旬ですね。今週末は「鈴鹿8時間耐久」があります。
学生時代は4時間耐久の予選(金曜日)から3日間通ったものです。
(毎日、堺の実家まで寝る為だけに帰る→翌年からは野宿)
今回は耐久の様な弾丸ツーリングの話です。



それは、社会人2年目のお盆の話です。

当時、私が勤めていた会社は今で言う『ブラック企業』でした。

システム開発会社(人材派遣、CADオペレータ、パンチャー業務も)
で徹夜なんかは当たり前で、月・水・金は徹夜で、火・木・土は22時まで
(土曜日も普通に勤務の時代)。な~んてパターンです。

ちなみに徹夜と言っても5時頃から2時間くらいは仮眠するんですがね。
あっ、そうそう、火・木・土は仕事終わりに必ず飲みに行ってました。

眠くても納期は迫る。

という感じで月に通常勤務以外で200時間以上残業してました。
でもでも残業代なんか殆どありません。まさに『ブラック企業』です。
 
  どーん。今なら1発で労基が・・・。


同じ部署(社内で受託開発していたチーム)の同期なんて
10人くらい居たけど半年後には2人になっていました。
(みんな退社。突然、来なくなったヤツもいた)
大阪の「夢見るライダー」さんも、この時の同期です。
彼は運良く外部での仕事をしていました。

私は2年弱で辞めましたが、その企業も今では上場企業。


さて話はバイクに。。。

SeaBreezeはフェードアウトしていましたが、まだバイクにも
乗っていました。でも前述の通り、ブラック企業勤務なので
唯一の休養日である日曜日も寝ている事が多かったです。

ちなみに『SeaBreezeの突一』のRZ-R君が勤めていた会社も
私に負けないくらい、いや私以上の『ブラック企業』(笑)でした。
RZ-R君が勤務していた会社は全国に営業所がありまして。。。
働いていた某所の営業所は、2階に独身寮がありまして、
夜中の24時とか25時まで1日中、奴隷の様に働いていました(涙)。
勿論、休みは日曜日だけです。私と同じやん。

これからRZ-Rクンではなく「ブラックライダー1号」と呼びましょう。
RZ-R改めブラック。


ちなみに独身寮は2DK(6畳×2部屋)に4人で住んどりました。
なんと6畳の部屋に2名が布団を「川の字」というか「Ⅱの字」
に敷いており、私は初めて寮を訪れた時に、あまりの狭さに
「タコ部屋」とは、これなんや。と大いにビックリした記憶があります。

そんな「ブラック1号」でも奇跡的に、お盆休みを2日間(月・火)も
取れて、日曜日と合わせて3日間も連休となりました。
私もなんとか調整して「ブラック1号」の休みと合わせて月・火の
休みを取って3連休にしました(2年目だったので多少は融通OK)。


って事で、2台で久しぶりに泊まりツーリングに行こうや。
という話になりました。でも、お互い忙しくて、どこに行くかも
決めずに当日になりまして。土曜日の夜に我が家(堺市)に集合。

「ブラック」が我が家に来たのは土曜日の23時頃だったと思います。
さて、ここで、どこに行こうかという相談になりました。
いつも通りガンガン走るのではなく信州にでも行き同じ宿に
連泊してのんびりと行こうや。という事になりました。

なんせ、2人とも奴隷(1号と2号)の様に働いていたので
心に余裕がありません。だからのんびりツーリングです。


             のんびり信州


          高原をゆったり走ろう

と思っていたのですが・・・。

私が、その2年前の大学4年(夏)に北海道のソロツーリングの
帰り(東北の太平洋側を走っていた)に盛岡に寄った時に
「わんこそば」にチャンレンジした事を思い出しまして、その時は
1人だった事もあり54杯しか食べる事が出来ませんでした。


「わんこそば」10杯で通常の蕎麦の1人前だった様な気がします。
(店によっては8杯で1人前とか、12杯で1人前とか色々あります)

そんな話をしてて、何気なく盛岡も面白いなぁ。って言うてたら
ノリで、行ってみる? ホンマ? 行く? マジっ? 面白いやん。
みたいな事になって、日本地図で大よその距離を見たらですね、
大阪~東京が500Kmくらいで、東京~仙台が600Kmくらいです。

まぁ、日本海側を走ったら1,000Kmくらいやから行けない
距離でもないです。学生時代は600~700Kmくらいの日帰り
ツーリングは普通にしてたし、北海道なんかでは1日900Km
とか走ってたので、まぁ大丈夫やろう。という結論になりました。

結局、盛岡に向けて日本海側を突っ走る事に決定しました。

お互い日々の激務のせいでバイクの整備もしてなかったので
チェーンを張ったりしていると私の自宅(堺市)を出発したのは
日曜日の早朝の3時頃でした。


さぁ、3日間の弾丸ツーリングのスタートです。


続く。(新幹線は、もうすぐ京都に到着です)

2014年7月14日月曜日

【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄8

フェリーは北九州に到着しました。

ここからは、一旦、電車で移動するみんなと別れて1人で
バイクで山口県へ。電車のみんなよりも早く宿に到着。
事情を説明して宿に入れて頂き、畳の部屋で昼寝(-.-)zzz。

写真部のメンバーが到着して後輩達は早速、撮影行軍に
出発ですが我々、3年生は全員、部屋でゴロゴロです。

合宿の2日目は、同期の連中と津和野まで電車で移動して
そこでレンタサイクルをして山陰の小京都を満喫。
(バイクには乗らず)

 CB250RSと姫路クンを除く同期5名。 


3日目は、折角、ここまで来てるねんからバイク(当然、1人)で
秋芳洞までミニミニツーリングをして秋芳洞を見学(1人で)

百枚皿
有名な「百枚皿」やね。


 当時は「吊るし」の皮ツナギを着ています。


そして写真部の春合宿は終わりました。
合宿の内容を書いても仕方ないし・・・。


合宿期間中に、ず~っと考えていたのですが、このまま1人で
九州を回ってもどうかなぁ~。
って事で九州はヤメて山陰側を走って大阪に戻る事にしました。
なんやかんや言うても私も情けない話ですが一人旅ってのは・・・
実際「心が折れてました」

なので、写真部のみんなと別れて1人で出雲大社を目指します。
行きはフェリーだったので本格的なツーリングは、この時が「初」です。
あいにく天候が悪くカッパでの走りです。R9を走るだけ。

雨中の走行でも200Km程度なので、すぐに着きます。

 
ちゃんと参拝したのに「縁」が・・・。


雨が降ってるので体力的にもキビしいです。
そんなに走ってないのに疲れたので民宿を探して早々に宿泊。

ゆっくり風呂に入って雨で冷えた身体を温めます。
素泊まりの予定だったのですが、腹が減ってきたのと雨がジャージャー
と降っているので急遽、食事(2食とも)付きに変更。
この頃は、今みたいにアルコールを飲みまくっていなかったので
普通にメシを食っておしまい。就寝。
ここに泊まったのです。








 


翌日も雨だったので鳥取砂丘を軽く見学してからR29で姫路へ。
そして一気走りで大阪(堺市)まで帰ったのでした。

R29(戸倉峠)


このツーリングは旅立つ前に2つの大事件があった為にツーリング
内容は貧弱ですいません。


これも、先日、帰省した時に見つけた「旅の記録」です。

汚い字で恐縮ですが、走行距離は、780Kmくらいです。
なんじゃぁこりゃぁ。というしょーもないツーリングですね。


春合宿編(いつから、そんな「編」になったんや)は、ここまで。

2014年7月10日木曜日

【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄7

リアルな世界(現在)では、ポンコツな私ですが当時は良かった。
な~んて、オヤジの「昔は〇〇〇やった話」を考えながら
過去の世界に逃げている台風近しの今日この頃の私です。


さて、話は30年くらい前に遡って。。。続きです。
第2の事件!


CB250RSを失った私は、理論派の達人と2台での無茶な
ツーリングに行くはめになりました(涙)。怨むぞチャリダー。
なんで直前に事故るねん。理論派のお守りをアテにしてたのに・・・。

中型バイクの超・初心者である姫路クンとの2人ツーリングです。
不安というか、ピンチというか、よく言いますが「ピンチをチャンスに」
なんて事は絶対に無理な話です。アカン・アカン。アク。アカン。
なんせ理論派というか屁理屈派なんでチョー心配です。

そんな事を言っても仕方が無いので、当日は、姫路クンと予定通りに
9時30分頃にソニータワーに集合です。
    ※今は、「ZARA」がはいっている『ラ・ポルト心斎橋』)になってる。

当時の「ソニータワー」

今は「ラ・ポルト心斎橋」

さてさて、ツーリング当日です。
私は何時も通り、朝の9時過ぎにはソニータワーに到着しました。
しかし、姫路クンは来ません。

「またかいなぁ~。」と思いつつ、我慢して待ってます。
姫路クンは、時間にルーズな人でして(*_*)。
(宴席でも調子に乗って毎回ツブれる。関係ないか)

到着してから、30分くらい待ったのですが来ません。
彼は大学(長瀬)近くの学生寮に住んでおり、寮には公衆電話が
1台あるだけなんですが、その公衆電話に私もソニータワー近くの
公衆電話から電話しました。
なんせ携帯電話なんか影も形も無い時代ですので。しやーないね。

この寮の公衆電話は学生寮にお決まりの通り、いくら鳴らしても
電話には誰もデンワ(照)
そりゃぁ、自分宛はめったに掛かってこないのに出ても損。って感じ。
いつも30回くらい鳴らさないと駄目なんです。


こんな電話でした。













それも1階の入り口付近の部屋の人(公衆電話は1階入り口に設置)
が出てくれる程度で2階の部屋に住んでいた姫路クンが出る事は
まずありえません。

しかし、この時は1コールで出ました。「『本気』と書いて『マジっ』と読む」
なんと、姫路クンが出ました。

なんでやね~ん。なんで姫路クンが出るねん。それも1コールで。


事情を聞くと、な・な・なんと、当日の朝に姫路クンが出発しようとして
荷物を持ってバイク置き場に行くと、CB250RS-Z(元は私のバイク)が
無くなっていたそうです。
そうなんです。ツーリングに行く当日にパクられちゃいましたぁ~。








記憶によれば、ハンドルロックをしてなかったから簡単にパクられた。
と思います。そりゃぁ、ショックでしょうね。
直ぐに警察に電話をして対応してもらったそうです。
でもでも、そんなに簡単に見つかる訳ないよね。残念!

CB250RS-Zを姫路クンに渡したのがツーリングに行く4日前で
(CB250RSが事故る前の日やね)、姫路クンはCB250RS-Zに
殆ど乗る事もなくパクられたのでした(涙・涙・涙・笑・笑・大笑)。

それで、仕方なく姫路クンは、学生寮の公衆電話の前で私からの
電話を待っていたそうです。
当然の事なのですが、姫路クンもツーリングに行く事が出来なく
なりました。私としては、チャリダーのCB250RSを借りてでも行って
欲しい所ですが、そこまで姫路クンに無理を言って2人で行くのも
なんなんで、渋々というか晴れ晴れとした気持ちで姫路クンの欠席を
了解しました(しゃーなわね)。


えらいこっちゃ、結局、ソロツーリングで山口県(『萩・津和野』)までの
約500Kmを徹夜で走らなアカンやん。別にかめへんけど・・・・。

気を取り直して、とりあえず合宿の集合場所である神戸・糸崎の
フェリーターミナルまで行きました。夕方、出航なのに1年生は午前中に
集合しています(というか、集合させられています)
そんな所にツーリングの格好をした先輩(私ね)が登場しました。

後輩達と、「CB250RSの怪我の話」や「姫路クンの盗難話」で
盛り上がってると同期のヤツらも来ました。

そんなこんなでフェリーターミナルでくつろいでいると、なんか1人で
R2を徹夜で走るのが虚しくなってきて・・・。
渉外担当(会社で言うところの営業)と企画担当(会社で言うところの総務)
の後輩に無理を言って、フェリーに乗せてもらえないか。という話になり・・・。
上手く交渉してもらい1名追加で乗船出来る事になりました。
(バイクも手荷物扱いなので追加での積み込みは全然OK)

これで北九州までは、写真部のみんなとノンビリと移動する事が
出来る様になりました。
ラッキー(ってラッキーなのかなぁ? ツーリングのはずが・・・。)

そこに、な・な・なんと、バイクをパクられた姫路クンが登場。
『おっ、流石に軍師・官兵衛と同じ播州人。パクられてもフェリーで参加や』
と思ったら、官兵衛さん程、肝がすわってる訳もなく、単純にヒマやから
見送りに来た。との事でした。

おいおい、フェリー乗り場まで来てるねんから参加しよーぜ。
と同期にも後輩にも言われたのですが、カメラも着替えも何も持ってきて
無いのでアカン。の1点張りでした。要する「心が折れた」姫路クンです。

結局、夕方になり、フェリーは出航です。姫路クンは岸壁から出港する
我々を見送ったのでした。紙テープはありませんでしたが・・・。











その頃、花園(?)の病院では、CB250RSが
♪きしむベッドの上で 優しさを持ちよりきつく躰~♪
って感じで旅立ったライダー2名(私と姫路クン)の事を考えて
足を固められたまま寝ていたはずです(多分ね)。

ちなみに当日か翌日か忘れましたがCB250RSが病院のベットで
マンガ(デューク東郷)を読んでると姫路クンが突然、登場!

そりゃぁ、春合宿に行ってるはずの姫路クンが表れたのですから
ビックリですわな。事情説明を聞いてCB250RSは自分の事は棚に上げて
大爆笑だったそうです。ちゃんちゃん。

フェリーは一路、北九州へ。




結局、ソロツーリング(行きはフェリー)になった私。さて、どうなる。

2014年7月7日月曜日

涙サプライズ。バイク肉バイク

5/12に「肉離れ」になってから、はや2ヶ月弱が経過。
松葉杖も必要なくなり、それなりに歩ける様になったし
後援会(?)からのリクエストもあって、そろそろバイクに
乗ろうかなぁ~と思い立ち。出動!

久しぶりに秘密基地に行きました。そおいえば基地代を
払ってませんでした。10,800円/月です。
3ヶ月分の32,400円払ったのですが、まったく動かしてなくて
この金額(凹)。単なる保管費ですわ・・・。


1号線から西湘バイパスを走ってターンパイクへ行くゾー。
今日は久しぶりのバイクなのでアクセル全開(?)やぁ。
「バイクだけに~、ブンブン」。
バイク川崎バイク
でもでも、秘密基地を出発して1号線を走っている時に
なんか右足(「肉離れ」とは違う方)が攣る様な感じが。。。

運動不足やし、これまで左足をかばって歩いてたから
攣りそうなんや。と思いながら、信号で止まった時に
左足(「肉離れ」の方)で立った時に事件が!!

「うっ。ヤバイ。左足が変な感じや・・・」と思った瞬間、
痛っ。痛っ。痛っ。痛っ。痛っ。

そのままバイクが傾きだして、更に左足にバイクの重みが。
『ビ~ン』。この前の茅ヶ崎駅の時と同じやん。
このまま、踏ん張ったらキケンや。ピ~ンチ&ピ~ンチ。。。
もうアカン、バイクは倒れてもエエわ、諦めよう。。。(涙)

これが一瞬の出来事でした。

そして信号待ちの道端で「立ちコケ」(というか諦めコケ)しました。

バイクを立てる事よりも、足がぁ~。イタイ・イタイ・イタイ。
倒れたままのバイクを呆然と見ていると、歩いてる人が
駆け寄ってきれくれてバイクを起こすのを手伝ってくれました
(というか90%は、その人のパワーで立ててもらいました)

お礼を言って歩道で大休止。

よくよくCBRを見ると、いつもの様にクラッチレバーが折れている
事はなく(ラッキー)。しかし、倒れた方にガードレールがあって、
そこにカウルを当てながら倒れ込んだ為にいっちゃいました(涙・涙・涙)
真っ正面の風防の透明なところにもヒビが入っちゃった。


こんな感じのガードレール
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

あまりのショックと足の痛さの為にバイクの写真を撮る事も
すっかり忘れて座り込んでました。


バイクと肉離れなんで、「バイク肉バイク」。
「バイク肉バイク」って事で『BNB。ヒィ~ア。』 Byバイク川崎バイク。

ちなみに足の方はCBRを見捨てたお陰で大事にはならず
若干の痛みが残っていますが、なんとか大丈夫でした。
でも、心が折れてしまったので早々に帰還。

「秘密基地まで安全運転で帰りました。」
「バイクだけに~ブンブン」

 
 バイク川崎バイクの事を知らない人は、このYouTubeを見るべし。
https://www.youtube.com/watch?v=-_P8qV_w2lA


バイクだけに~ブンブン。
涙だけに~ポロポロ。

しかし何時になったら、まともにバイクに乗れるんやろ?

2014年7月4日金曜日

【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄6

MVX250Fを購入したので、それまで乗っていたCB250RS-Zは
写真部の同期である姫路出身のFクンに売却しました。
私のバイクはCB50(現・ブラジル在住)に続き写真部の同期を
巡るのでした。 ♪め~ぐる~め~ぐる~季節の中で~♪

Fクンというと未成年の犯罪者みたいなので「姫路クン」という事で。

姫路クンは、中型二輪免許を取得したばかりの初心者です。
バイクは実家で原チャリに乗ってたくらいやったと思います。
でもでも、姫路クンは雑誌や本を読みまくる「理論派」でして
バイクの事は詳しい人です。
私やCB250RSは、どちらかというと『習うより慣れろ』という
「行動派」でして我々2人の『ピキピキ』は有名でした。




おいおい、『ピキピキ』ってなんやねん~。という突っ込みが
入ると思いますので『ピキピキ』について簡単に解説。

人には、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)があります、
それ以外の直感を第六感と言いますよね。
バイクの運転に関しての第六感の事を我々は勝手に
『ピキピキ』と呼んでいました。
って事で私とCB250RSの2台の『ピキピキ』は抜群でした(自慢)

まぁ、そんな話はどうでもエエんすけど、姫路クンには『ピキピキ』は、
まだまだの初心者。という事だけを紹介したかったのです。


さて、本題です。

時期は3年生も終わり就職戦線が始まるであろう4年生に
なる直前の3月です。
あっ、私は留年してたので2回目の2年生が終わる頃ですな。

我々、写真部の行事である「春合宿」があります。
これまでは、先輩が在籍していたのですが1コ上の先輩も卒業
で写真部では我々が最上級生です。よし!

写真部では8月に「夏合宿」、3月に「春合宿」がありまして
最上級生は合宿期間中の自由行動は勿論の事なんですが
集合方法も団体行動する事もなく自由です。
(1年の夏~3年の夏までは団体行動が必須なんすワ)

今回の「春合宿」の行き先は、山口県の『萩・津和野』です。
僕達の同期も入学当時の15名くらい居ましたが理不尽な厳しさ
(写真部なのに毎日、部室に集合→UNOして掃除するだけ。時々、現像)
の為に、その頃には7名に減っていました。

本当に写真が好きなヤツと私みたいにヒマなヤツが残った。
その中でバイクで春合宿に参加を表明しているのは3名です。

エントリー№1:MVX250F(私です)
エントリー№2:CB250RS(チャリダー)
エントリー№3:CB250RS-Z(姫路クン)

他の同期と後輩達は、神戸(糸崎)から北九州(小倉)までは
フェリーで移動して、そこから国鉄で萩に移動するパターンです。
15時頃に出航して翌日の朝に小倉に到着して、そこから汽車で
移動して宿に入るのは昼頃の予定です。
そこから3泊4日の合宿です。俺たちの天下やぁ~。

バイク組みはというと、みんながフェリーに乗る日の朝に大阪を
出発して、R2をひたすら走って適当にドライブインで休憩して
約500Kmを一気走りして翌朝の昼頃に宿に到着する計画です。
(相変わらず、無茶な計画ですよね)

合宿終了後には九周一周して大阪に戻る計画です。
以下のスケジュール(汚い字)は先日、大阪の実家に戻った時に
発見したものです。ホンマに私の物持ちの良さは抜群ですねぇ。






































ここで事件が発生です。


事件は、会議室ではなく現場(大阪の中央大通り)で起きてました。

なんと、CB250RSが出発の2日前の夜に中央大通りを走行中に
事故ってしまい怪我(右足の甲の骨折→複雑骨折やったっけ?)を
して入院してしまったのでした。事故の経緯はWebで。って、どこの?

翌日、CB250RSが入院している病院(花園?)に大量のマンガを持って
(MVX250に積んで)見舞いに行きました。外科的な怪我なので元気
だと思ったのでマンガ(「ゴルゴ13」なんか4~50冊)を持参したら
CB250RSは大変、喜んでました。
















この入院中でCB250RSは『ゴルゴ通』になった模様。デュークRS。
射撃の腕は上がったのかどうか知りませんが「酒の腕」はさっぱりのまま。

しかし事故の内容を聞けば聞くほど面白いもので、さすがに将来、
SeaBreezeの「突一」になった暴れモンのCB250RSです。続きはWebで。


翌日から始まる「春合宿」なんですが当然の事ながら、CB250RSは
『欠席』となりました。
う~ん。姫路クンと2人かぁ。こりゃぁキツいなぁ。
私だけで初心者の「理論派」を連れて行くのは無理があるなぁ。。。
どうしてくれるねん。チャリダーじゃなくCB250RS。
君が居ないと困るねんけど(涙)


そして第2の事件が。発生するのです。

続く。

2014年7月1日火曜日

【むかし話】ギザギザハートのきんだい子守唄5

今日から富士山の山開きですね。
行かれる方は気を付けて(弾丸ツアーは禁止みたいでっせ)。


さて、むかし話に戻って。
MVX250Fを購入して直ぐの「紀伊半島一周」の話です。

まだまだ寒い3月上旬の早朝に堺を出発です。

R26で岬町から和歌山まで走り、そこからR42です。
R42は、海沿いの片側1車線が延々と続くので単調になってきます。

眠気を醒ます為にも若干のペースUP。
以下のトレーシングペーパに記載の「ズズーン」の場所でサイレンが。










ペースUPしたら当然、前を走ってる車に詰まります。
ほんなら自然と「ハミ禁」(黄色いセンターラインをはみ出す)をして
どんどん抜いてしまいます。
そんな私を、まさか白バイが追走していたなんて(*_*)

しっかりと違反キップを頂戴きました。
なんで、こんなとこに白バイが走ってるねん。不思議やなぁ・・・。
と思いながら、しょんぼりしてリメットを被ってグローブをしてると
白バイの隊員さんが、近寄ってきて。。。

この先はレーダーでスピード違反の取り締まりをしているから気をつけてね。
という優しい囁き。お陰様で「ハミ禁」&「スピード違反」のWパンチを
食う事なく、シングルパンチだけで走る事が出来ました。
ありがとう、白バイ隊員さん。って、「ハミ禁」では捕まってる訳でして・・・・。


殆ど休憩する事もなく本州最南端の「潮の岬」に到着しました。

ここは高校の時に学校をサボって日出の写真を撮りに行った場所です。
初めて泊まったユースホステルもここでした。
懐かしい響きですね。ユースも当時と比べて自由度がUPしてるみたいですね。
紀州本線(国鉄)を走る『くろしお号』で行ったと思います。

その後は、社会人になる前の3月に実施された「入社前研修」で3泊4日という
過酷な研修をやった場所です(これ自体は、MVX250Fで行った3年後の話です)
実際、4日間で合計5時間くらいしか寝てません(自発的じゃないヨ)。
 ※この手のブラック話は、「夢見るライダー」さんが得意(彼も経験者だよ)。


さて、話はソロツーリングに戻って。
「潮の岬灯台」に続く遊歩道みたいな感じの細い道をバイクで乗り入れて
写真をパチリ。
オムニのヘルメットや・・・

その後、松阪あたりからR165を通ってお馴染みの青山高原なんかにも
寄っていこうと考えていたのですが、「ハミ禁」のショックと寒さの為に
気力が削がれており、熊野あたりからショートカットする為にR169に
入って山の中へ。

これが大きな間違いでして・・・。

まだ3月です。R169を山の中へ。奥へ、奥へ。登る。登る。
段々、両サイドに残雪が。寒い。寒い。道に雪が・・・
というあたりで道が未舗装になり。おいおい少なくとも3桁国道やろ。
なんでダートやねん。道幅も車1台が交差するのも厳しい感じです。
こちとら2スト250ccのレーサーレプリカやで。














それでも、なんとか山を越えて、吉野に。吉野も十分に山の中やけど
なんか帰ってきたぁ~って感じです。ここからは、たいしたイベントも
なく普通に帰宅。距離にして500Km程度ですが、当時としては日帰りで
走るにはキツかった距離でメチャ疲れた記憶があります。
(白バイのショックもあったと思いますが)


では。