2014年8月19日火曜日

【むかし話】弾丸5(最終回)

弾丸ツーリングの話も、ついに最終回です。
最後まで弾丸レースです。


いろは坂を降りてきて、さて相談です。
ここから、どうやって大阪まで帰るか? って話です。

この時点で3日目(火曜日)の昼の15時頃です。明日は仕事っす。
帰還リミットまで、あと14時間程しかないです。

普通ならば東北道で首都圏を経由して東名&名神の高速を
かっ飛ばすのが1番なんですが、「あほコンビ」は普通ではありません。

今回のツーリングに出発する時に「信州に行こう」って言うてたやん。
という、しょーもないキーワードが頭に残っており・・・・。
じゃぁ、信州に寄って行こうゼ。って事になりまして栃木県から
群馬県を経由して長野県へ。

14年後に群馬県と栃木県を主エリアとなる高崎支店(群馬県)に
勤務するとは・・・。その翌年に新潟支店と兼務になった。


国鉄(この翌年にJRになった)小海線の野辺山駅を通過して
標高日本一の石碑を通り過ぎて・・・。
夜なんで殆ど見えなかったけど、踏切の横にあったと思う。
(学生時代に来た時は昼間なので確認できたが・・・)

そして、メルヘンチックなペンション街で有名な清里に
到着したのは、20時頃だったと思います。
メルヘン・・・。


清里高原へいらっしゃい!
こんな山々は全く見えず。


な・な・なんと、疲れているのに雨が降ってきました。
まさに「泣きっ面に蜂」です。
ほんまに泣きそうでしたがカッパを着て走ります(涙)。
信州に来たのをメチャ後悔・・・・。

なんの為に信州を経由しているのか判らないくらいに
観光もせずに真っ暗な雨の中を走るのみです。。。

やっと中央高速のインターに辿り着きました。
ここらへんで、嬉しい事に雨は上がりました。
この時点で21時頃です。エ~ン、早く家に帰って寝たいよ~。

帰還リミットの5時まで、あと8時間しかありません。
でもでも、まだ中央高速(信州)です(涙・涙・涙)。


2人とも無言で走ります。まぁ、当時は今みたいにレシーバ
なんて無い時代ですので無言は当たり前なんっすけど。。。

この時、中央道で私は高速道路を横切る「象」を見てました。
象を見たと思ったら、ビービービーというけたたましいクラクションの
音で正気に戻りました。バイクで居眠り運転をしていました。
夢で象を見ていたのです。ウ~ンまずい、事故るぞ。










すぐにサービスエリアに入ったのですが私は、
ブラックと会話をする事もなくバイクを止めた瞬間、
そのまま倒れこんで寝ていました。
暫くしてブラックに起されたのですが・・・。


そして出発。


暫くしたら前を走っていたブラックが急に追い越し車線から走行車線に
突然、ぶぅ~ん。と車線変更(それも車体を倒しての車線変更)。
ヤベぇ。と思い。ホーンを鳴らす鳴らす。
そしたらブラックも手で合図を。後で聞いたらブラックも寝ていたそうです。

そんなヤバイ走りで名古屋(尾張小牧)を過ぎたのは、なんとなんと、
もう24時(てっぺんね)をえらい過ぎています。
SAごとに止まって超短い仮眠を繰り返していたので時間が掛かった。

気力を振り絞って、走る・走る・走る。。。(ホンマに走ってばっかです)

最後のSAである多賀SAに到着したのは、25時(1時ね)過ぎかな。
ブラックは神戸の寮に帰るし、私は堺です。このまま名神を走ったら
吹田で別れる事になるので、会話するのは、ここで最後です。

「兎に角、気合で走りきろう。絶対に事故せんとこ!」
と言葉を交わして出発です。

2人とも分かっているのです、チンタラ走ったらアカン。寝てまう。
カッ飛ぶんや。アクセル全開や。飛ばすんや。

という気持ちで走ります・そして走ります(ず~っと走ってばっかです)
旅の終盤ですがガンガン走ります。
さぁ、グランプリの最終戦です。といわんばかりに飛ばします。
なんぼ飛ばしても捕まりません。やっぱキレた走りですので(^^)v


吹田ジャンクションでブラックと、ホーンを鳴らして別れます。
私は近畿自動車道から中央環状を走って堺までたどり着きました。

堺の自宅に到着したのは夜中の3時頃だったと思います。
出発してから、ホンマに正味3日間(72時間)のタイムです。
バイクから降りた時には手足は勿論、身体中シビれてへたり込んでました。

荷物を運びこんで「ほっ」としたのは、もう4時頃でした。
4時って事は帰還リミットの1時間前やんけ~。
眠くて疲れて、疲れまくっているのですが、このまま横になったら
夜まで寝てしまうと思い、シャワーを浴びて気合を入れなおして
普段よりも早い時間でしたが会社に向かいました。エライ。

そんなこんなで、若さだけの弾丸ツーリングは終わったのです。
総走行距離は2,500Kmでした。これを3日間で走りきりました。
行きは一気で1,500Km走り、帰りは1,000Kmを走りました。
(2日目の移動距離は短いけどね)
「わんこそば」を吐く手前まで食っただけの弾丸でした。


もう2度と出来ない弾丸やと思います。
(初日の1,500Kmはホンマにキツかったっす)


【後日談】
私は、当時はプログラマーだったので内勤でして弾丸から帰った日も終日、
居眠りをしながらプログラム開発をしていました(実際は何の成果もなし)。

でもでも、ブラックは、某食品会社のルート営業なので弾丸から帰っても
殆ど寝る事もなく営業車で出発して1日中、営業(配達)をしてたそうです。
まさに、ブラック企業に勤める強靭なブラック君でした。
ブラック君に拍手!
ブラックの体力は凄げぇ。と思いました。


さばら。

9 件のコメント:

  1. ホンマやね〜
    今時のバイクだともっと楽勝に行けるんでしょうが、二人とも2ストの250でよく頑張ったと思います。
    あんなツーリングは二度と出来ませんというか行きたくありません。
    9月に入ったら普通のツーリング行きましょ。
    ◯川さんはどうよ?

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  2. ただいま必死にイメージトレーニング中です

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  3. イメトレはほどほどにしてヨメはんの説得した方が…

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  4. 「ウラリン2」さん。
    『あの時代』(というかあの若さ)やからやね。
    もうエエ歳やから高速道路ばっかを使っての
    『山口県への河豚ツアー』なんかをしたいなぁ
    と思っています。

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  5. 「てつくん」さん
    イメージで「立ちコケ」しない様にね。

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  6. 車でもその距離はかなりしんどいっしょ。よく生きてはるわ。これからも無理せず、また怪我することないようにして下さいね。
    奈良びとより。

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  7. 「奈良びと」さん。
    当時は、体力だけはバッチシでした。
    あっ、昨日、東京の人が例の調査に来られました。

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  8. 山口まで走る元気はありまへーん。
    浜松辺りで鰻なら乗りますが…

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  9. 「ウラリン2」さん。
    気持ちだけなら山口まで平気なんですが実際は
    キツイと思うワ。。。
    浜松で手を打とか?

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