2014年9月2日火曜日

修繕

どもっ。

土曜日、目覚めたら、また雨です。
8月やちゅーのにホンマに梅雨みたいですねぇ。
もう9月に入ったけど。今朝はエエ天気ですよね。

昼前になって雨があがったのでCBRのカウルを
修繕(修理なんて言うほどのもんではない)に
行こうと思い立ち。秘密基地へ。
って走りに行ったんとちゃうんかい(という声は放っておいて)

まずはホームセンターに行って透明のテープを購入。
そして100円ショップでウェットティッシュも購入。
秘密基地でカバーをめくってエンジンON。
(当然の事ながらセル1発でかかります)

ほんで割れたカウルの2か所にテープを張ります。
まず目立つ方の透明部分の2本の割れた部分を修繕。
何度も貼りなおして、なんとか目立たなく貼る事が出来ました。
裏側からも、なんとか貼り付けました。












次に左横の割れたカウル。赤い部分で、そもそも欠けた部分が
無くなっています。仕方なくテープを何度も重ね貼りしましたが
ちょっと強度に不安があります。
まぁ、エエっか。













そこからカウルの内側を見てみると、左側のカウルを支えてる
ステーも折れてブランブランしてます(ガーン)
しかたなく、こちらもテープで補強。ってどんなバイクやねん。
テープだらけやで。












そのうち、またまた転倒(「立ちコケ」)をすると思うので
当面は、このままでいきます。


翌日は、起きたら昼前で午後からはマンション組合の
総会があったので外出せず。
来週の土曜日は所要があるので、出動は日曜日かな。


ではでは。

2014年8月25日月曜日

抜歯

これまで3ヶ月以上にわたり治療していた歯を
金曜日(仕事が終わってから)に抜きました。

麻酔をしてるので痛さは無いのですが器具
(ペンチの様なもの)で歯を力をこめて抜くのです。
痛くは無いのですが口の中は「血」の味が・・・。

40分程度で終了。綿を口にふくまされて帰宅。
帰りの東海道線では妙な感覚のまま立って
茅ヶ崎駅に到着。歯医者さんに言われた通り
麻酔が切れる前に痛止めを飲みました。

結局、金曜日は晩飯を食える様な状態では
なかったので早々に就寝。

明日は早起きして箱根に行こう!


歯の痛さと、口の中の血のせいで、なかなか
寝る事も出来すに布団の中でゴロゴロ・・・・。

起きる予定の4時になりましたが、かなり痛いし。
もう暫く寝るかぁ。と思いウトウト(-_-)zzz
5時過ぎて明るくなってきたので箱根・伊豆方面を
見ると、どんよりと雲が。。。天気予報を見ても雨気味。

え~い。今日やヤメや。

抜歯したところからの出血は止まったのですが歯茎の
回りが痛くて、同時に頭も痛くて。。土曜日は、終日、
横になってTVを見てました。
9時頃から大雨が降ってきて、バイクで出動せずに正解!

翌、日曜日。
相変わらず頭痛あり。右ほっぺのまわりも痛い。
試しにヘルメットを被ってみましたが、これが、痛いのなんの。
アカン。アカン。アカン。

やっぱ、抜歯はバカにできません。歯医者さんからもらった
「術後のお知らせ」という小冊子にも記載されていましたが
抜歯といえども手術の1種なので侮らないでください。
と書いてましたワ。

って事で、この週末は色々な計画をブッ飛ばしてしまい
2日間ともに自宅で横になって過ごしたとさ。


歯は大切に!

2014年8月19日火曜日

【むかし話】弾丸5(最終回)

弾丸ツーリングの話も、ついに最終回です。
最後まで弾丸レースです。


いろは坂を降りてきて、さて相談です。
ここから、どうやって大阪まで帰るか? って話です。

この時点で3日目(火曜日)の昼の15時頃です。明日は仕事っす。
帰還リミットまで、あと14時間程しかないです。

普通ならば東北道で首都圏を経由して東名&名神の高速を
かっ飛ばすのが1番なんですが、「あほコンビ」は普通ではありません。

今回のツーリングに出発する時に「信州に行こう」って言うてたやん。
という、しょーもないキーワードが頭に残っており・・・・。
じゃぁ、信州に寄って行こうゼ。って事になりまして栃木県から
群馬県を経由して長野県へ。

14年後に群馬県と栃木県を主エリアとなる高崎支店(群馬県)に
勤務するとは・・・。その翌年に新潟支店と兼務になった。


国鉄(この翌年にJRになった)小海線の野辺山駅を通過して
標高日本一の石碑を通り過ぎて・・・。
夜なんで殆ど見えなかったけど、踏切の横にあったと思う。
(学生時代に来た時は昼間なので確認できたが・・・)

そして、メルヘンチックなペンション街で有名な清里に
到着したのは、20時頃だったと思います。
メルヘン・・・。


清里高原へいらっしゃい!
こんな山々は全く見えず。


な・な・なんと、疲れているのに雨が降ってきました。
まさに「泣きっ面に蜂」です。
ほんまに泣きそうでしたがカッパを着て走ります(涙)。
信州に来たのをメチャ後悔・・・・。

なんの為に信州を経由しているのか判らないくらいに
観光もせずに真っ暗な雨の中を走るのみです。。。

やっと中央高速のインターに辿り着きました。
ここらへんで、嬉しい事に雨は上がりました。
この時点で21時頃です。エ~ン、早く家に帰って寝たいよ~。

帰還リミットの5時まで、あと8時間しかありません。
でもでも、まだ中央高速(信州)です(涙・涙・涙)。


2人とも無言で走ります。まぁ、当時は今みたいにレシーバ
なんて無い時代ですので無言は当たり前なんっすけど。。。

この時、中央道で私は高速道路を横切る「象」を見てました。
象を見たと思ったら、ビービービーというけたたましいクラクションの
音で正気に戻りました。バイクで居眠り運転をしていました。
夢で象を見ていたのです。ウ~ンまずい、事故るぞ。










すぐにサービスエリアに入ったのですが私は、
ブラックと会話をする事もなくバイクを止めた瞬間、
そのまま倒れこんで寝ていました。
暫くしてブラックに起されたのですが・・・。


そして出発。


暫くしたら前を走っていたブラックが急に追い越し車線から走行車線に
突然、ぶぅ~ん。と車線変更(それも車体を倒しての車線変更)。
ヤベぇ。と思い。ホーンを鳴らす鳴らす。
そしたらブラックも手で合図を。後で聞いたらブラックも寝ていたそうです。

そんなヤバイ走りで名古屋(尾張小牧)を過ぎたのは、なんとなんと、
もう24時(てっぺんね)をえらい過ぎています。
SAごとに止まって超短い仮眠を繰り返していたので時間が掛かった。

気力を振り絞って、走る・走る・走る。。。(ホンマに走ってばっかです)

最後のSAである多賀SAに到着したのは、25時(1時ね)過ぎかな。
ブラックは神戸の寮に帰るし、私は堺です。このまま名神を走ったら
吹田で別れる事になるので、会話するのは、ここで最後です。

「兎に角、気合で走りきろう。絶対に事故せんとこ!」
と言葉を交わして出発です。

2人とも分かっているのです、チンタラ走ったらアカン。寝てまう。
カッ飛ぶんや。アクセル全開や。飛ばすんや。

という気持ちで走ります・そして走ります(ず~っと走ってばっかです)
旅の終盤ですがガンガン走ります。
さぁ、グランプリの最終戦です。といわんばかりに飛ばします。
なんぼ飛ばしても捕まりません。やっぱキレた走りですので(^^)v


吹田ジャンクションでブラックと、ホーンを鳴らして別れます。
私は近畿自動車道から中央環状を走って堺までたどり着きました。

堺の自宅に到着したのは夜中の3時頃だったと思います。
出発してから、ホンマに正味3日間(72時間)のタイムです。
バイクから降りた時には手足は勿論、身体中シビれてへたり込んでました。

荷物を運びこんで「ほっ」としたのは、もう4時頃でした。
4時って事は帰還リミットの1時間前やんけ~。
眠くて疲れて、疲れまくっているのですが、このまま横になったら
夜まで寝てしまうと思い、シャワーを浴びて気合を入れなおして
普段よりも早い時間でしたが会社に向かいました。エライ。

そんなこんなで、若さだけの弾丸ツーリングは終わったのです。
総走行距離は2,500Kmでした。これを3日間で走りきりました。
行きは一気で1,500Km走り、帰りは1,000Kmを走りました。
(2日目の移動距離は短いけどね)
「わんこそば」を吐く手前まで食っただけの弾丸でした。


もう2度と出来ない弾丸やと思います。
(初日の1,500Kmはホンマにキツかったっす)


【後日談】
私は、当時はプログラマーだったので内勤でして弾丸から帰った日も終日、
居眠りをしながらプログラム開発をしていました(実際は何の成果もなし)。

でもでも、ブラックは、某食品会社のルート営業なので弾丸から帰っても
殆ど寝る事もなく営業車で出発して1日中、営業(配達)をしてたそうです。
まさに、ブラック企業に勤める強靭なブラック君でした。
ブラック君に拍手!
ブラックの体力は凄げぇ。と思いました。


さばら。

2014年8月13日水曜日

BKB。

最近は、むかし話ばっかでしたので今回は、21世紀の話です。


先週の金曜日に仕事帰りにバイクを保管している
「秘密基地」に寄って10,800円の『年貢』を払って
きました。
約1ヶ月前に「立ちコケ」(というか諦めコケ)して
「秘密基地」にバイクを戻してから久しぶりです。

週末は台風の影響で天候が悪いので乗る事も
出来ないのでエンジンだけでもかけとくか。
って事でバイクシートをめくってエンジンON。

セル一発でかかりました。エエ感じやね。
それはエエねんけど、改めてカウルを見たら
やっぱ割れてます(涙)







ガードレールに倒れていった形なんでカウルも完璧に
割れていないので、とりあえず透明テープででも処置
しようと思います。

バイク・カウル・バイクの話なのでBKB。
バイクだけに。ブンブン。


翌日の土曜日は朝から曇り空全開で箱根・伊豆半島方面は
薄暗い雲が立ち込めています。
なので外に出る事もなく自宅で過ごしました。日曜日も(大雨だしね)。

結局、週末も乗らずに明日からのお盆休みに突入です。
お盆明けにこそ箱根ターンパイクや!
みなさん、お盆明けは箱根で集合ね。


現在の話だし、悲しいカウルになった話なので皆さんコメント下さいネ。


では。

2014年8月11日月曜日

【むかし話】弾丸4

「わんこそば」で腹一杯というか満腹プクプク状態です。
普段でもパンパンの腹なのにぃ・・・。

店を出てから盛岡駅のベンチで横になって1時間くらい休憩。

ブラックが、せっかく盛岡に来てるねんから雄大な草原牧場の
「小岩井農場」にでも行こうや。と言い出しよったので出発する事になりました。
ブラックは限界まで食わずに余力を残してたみたい(ズルい)

まだ、吐きそうな私。


私は学生時代に車で1回、バイクで2回、北海道に行ってるので
「小岩井農場」と言われても、あんまり興味がなかったのですが、
兎に角、横になって休憩をしたいという気持ちが1000%でしたので
「小岩井農場」に向けてバイクを走らせました。

MVX250はハンドルもセパハンにしてステップもバックステップに
改造をしており、街道レーシング仕様の為に前屈みのバイクに
乗ったら本気で吐きそうです。ヤバイ。


<ちょっと、ブレイクタイム>---------------------------
少し余談になりますが、この弾丸ツアー決行の少し前に
我が家でパーティーをしている時に誰かが突然、ピザを
食いたいと言い出しまして(当時はデリバリーはなかった)。

ノリでバイクと車に分乗して難波へ出動する事になりました。
バイクは私(MVX)とSeaBreezeの後輩(現役学生)の2人です。
山口県出身のN君(CB750)と今回の主人公のO君(CB750)。

車は、ブラック(プレリュードやったけ?)の1台だけです。
ブラックはパーティーに来ていた女性陣を独占して車に
乗せています。我々バイク組は孤独に走るだけです。

泉北から阪神高速・堺線を相当なスピードで難波まで。
高速を使ったとはいえ、ブラックはバイクの時と同じで
車でも無茶な運転をしてバイク組と同時刻に到着。
たしか「リバティーハウス」って店名やったかな。まぁエエか。







そこでパスタ(大盛り)やピザなんかを食いまくりました。
その後、帰ろうというタイミングでCB750(O君の方)が、
腹いっぱいでキツイっすわ。と言うてたのですが、聞き流して
そのまま店の前で別れてました。
ブラックは女性陣を順番に送るって事で走り去っていきました。

問題はCB750コンビの方です。
我々と別れて2台で走っている時に、後ろを走っていた
山口県のN君のCB750に何かが飛んでくるではありませんか。
次の信号で前を走っていたO君を見るとヘルメットを被ったまま
ゲロっておりタンクはミミズだらけ(大盛り)だったそうです。
ヘルメットもエライ事になっています。

なんと、O君は時速80Km(推定)で走りながらゲロってた模様。
本人曰く、気分が悪くなってきたので、止まってから
吐こうと思って止まる場所を探してるうちに、ヤッてしまったそうです。

O君は、近くの水道でヘルメットのゲロを洗い流して、
そのヘルメットに水を入れてバイクのタンクを洗い流したそうです。
その後は匂うヘルメットを被って寮まで帰ったそうです。立派!
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なんて事を思い出しながら、CB750(O君)みたいにヘルメットを
被ったまま吐いたらアカン。吐いたらアカン。吐いたらアカン。吐いたらアカン。
と呪文の様に唱えていました。
まさに、マラソンの君原選手みたいに『次の電柱まで・・・』という感じで
『次の信号まで・・・』という気持ちでした。

なんとか片手運転で上体を起こして運転をしてヘロヘロ状態で
タンクを蕎麦で満載にする事もなく、「小岩井農場」に到着。

羊のメリーさんを見る事もなく芝生にバタンキュー(死語)。
ブラックは誰かに暑中見舞いを書いてるけど、私は言葉を
発する事もなく横でダウン(-.-)zzz。

雄大な自然にある小岩井農場


どのくらい寝たのか判りませんでしたが、目覚めたら夕陽が。
横を見るとブラックも寝てます。
ヤベぇ。もう夕方やんけ~。今朝、起きてから殆ど距離を稼いでいない。

逆光で見にくいけど「小岩井農場」の看板です。 


早々に「小岩井農場」を後にした2台の2ストクォーターは盛岡インターまで
行き、そこから東北道を南下します。「それドンドン」って感じ。

「わんこそば」&「小岩井農場」でエライ時間を使ってしまったので
頑張って走ります。行けるとこまで行くゾー。って感じですね。
だいぶ腹の調子もマシになってきたのでレースみたいに走ります。

でもでもハードな工程のお陰で眠いっす。
居眠り運転で何度も事故りそうになりながら、ブラックとホーンを
鳴らしあって目を覚まして走ります。
しかし、もう限界まできていたのでストップ。時間は、23時頃(と思う)

場所は二本松あたりだったと思うのですが・・・(覚えてましぇん)。
ここで高速から出ずにインター横の道路公団の事務所横あたりで
こっそり寝ようという事になりました。(なんせ23時過ぎなので)
我々が寝ようとしていた駐車スペースの横に事故した車の
残骸が放置されていたのは、ちょっとビビりましたが。

就寝。これで2日目は終わるのです。

 
 
さて、3日目の朝です。
野宿をした二本松あたりのインターで目覚めた2人は、そのまま
高速を降りて、朝メシを買う為に店を探しながら走ってました。
当時はコンビニの数もまだまだでしたので、やっと見つけた、田舎の
雑貨屋っぽい店(よろず屋みたいな感じ)で停車。まだまだ早朝です。

『Loquor Shop松本酒店』という店でした。
牛乳とパンくらいでエエかな。と思い店に入りました。田舎の店は朝が早い。

詳細は言えませんが、ブラックは全国に営業所のある食品会社に勤めております。
その雑貨屋っぽい店にも、ブラックの会社の商品が置いてあり、ブラックは、
「ボクは、◯◯◯◯の営業で店舗さんを営業車で回ってるんですワ。」
みたいな感じで仕事の話をして盛り上がってます。これ以上は言えねぇ。

そしたら田舎の雑貨屋の夫婦(推定60歳くらい)は、僕たち(ブラック)の事を
エライ気に入ってくれて、「奥に入ってお茶でも」という事になりました。
そして、なんとなんと、「朝御飯は?」と聞かれたので、「まだです。」
と回答したら、「それなら朝御飯を食べていきなさいヨ」と言ってくださり、
見知らぬ土地でのブラックの絶妙トークのお陰で朝飯をゴチになりました。

よくやったブラック。久しぶりのエエ仕事や。流石、営業!
違反したり、転倒したり、喧嘩したり、入院したり、パトカーをブッチしたり、
オービスを光らせまくったり、事故ったりの話ばっかやったけど・・・
100年に1度の手柄や。ホンマによくやった。
(昨日の「わんこそば」以来の食事です。あんなに食ったのに腹は減る)

おじさん。おばさん。お世話になりました。

ググったんやけど、リカーショップ「松本酒店」は見つける事が出来ません。
「これかなぁ~?」という店はあったのですが、自信がありません。
ここは、ブラックに店を特定してもらい、28年目の「お礼参り」じゃなくて
「お礼」ツーリングに行きたいと思います。
ブラック君。店を探してくれ~。。。。期待しとるでぇ。
それにしても、こんな写真まで持ってるとは、私はマメっしょ。エライ!

そこから猪苗代湖を一周した模様(?)。


<話は横道にそれて、再びブレイクタイム>---------------------------
先日ブラックと新橋で飲んでいる時に、この弾丸の想い出話を
していたのですが、ブラックは、この後、猪苗代湖に行った。
と言うのですが、私には全く記憶がありません。でも写真を取り出すと
会津若松駅で写ってるし。ブラックの記憶が正しいのでしょうか。


  しっかり、会津若松駅に行ってるんやけど('ω')

でもなぁ、猪苗代湖を一周したんやったら、絶対に『猪苗代湖』という
看板のあるところで写真を撮ってるはずやねんけどなぁ・・・。
それに時間と距離から勘案すると一周は無理があるねんけど。
まっ、エエか。そこんとこはファジーでいこう。なんせ28年も前やし。
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『Loquor Shop松本酒店』で朝飯を御馳走になってから猪苗代湖を
一周(?)し終わったのは多分、朝の11時頃だったんじゃないでしょうか。
(私の記憶には無いのでホンマに猪苗代湖を一周したんやろか?)

その後、折角、ここまで来たんやから、「いろは坂」を攻めに行こうや。
と、どちらかともなく言い出して、そこから「いろは坂」へ。

しかし、ここから「いろは坂」のある日光までは約200Kmもあります。
なので、再び、東北自動車道に乗ってカッ飛ばします。

弾丸コンビは、警察の餌食になる事もなくガンガン飛ばします。
そして宇都宮インターくらいで高速を降りて日光方面へ。
ついに「いろは坂」です。

子供の頃に観光バスで来た記憶の「いろは坂」はグネグネ道で
とても攻める様なとこじゃないと思っていたのですが、まぁ記念になると
言う事で2台の2ストでそれなりに攻めましたがあんなヘアピンばっかしで、
観光バスや車だらけなんで、あんまり覚えてましぇん。

到着してエレベータで「華厳の滝」まで降りて滝を見学です。

 ここからエレベータで下ります。
 
エレベータで上下するだけで400円なんすね。


この何年か後に地震で滝の形状が変わったみたい。


しかし、時間が無いちゅのに余裕の観光旅行をしていますね。
その後、一方通行の「いろは坂」を下山。

エロいポーズ?


この時点で3日目(火曜日)の昼の14時とか15時のはずです。
明日は仕事だぁ。
【帰還リミットまで、あと14~15時間】


サラバ。

2014年8月4日月曜日

【むかし話】弾丸3

2日目の朝です。

今回は、バイクの話が殆ど(一切)、ありません。

ヘルメットを被っていても虫がウザくて、あんまり寝る事が
出来ませんでしたので寝不足です。

今日は、盛岡に来た目的である「わんこそば」を食べる日です。
しかし、店は早朝からOPENしている訳もなく、太陽が昇っても
芝生のとこでゴロゴロと寝てました(朝になったら虫も居なくなったし)

 右上に見えるのが盛岡インターの料金所です。
こんなとこに寝てました(不思議と注意されなかった)


東京の人は、よくよく見るとオヤジやね。 

やっぱ夏ですね。朝から暑かったみたい。

 「わんこそば」へチャレンジ前の2人



9時頃になったので盛岡駅に向かって出発。

東京3人組みも一緒に「わんこそば」に行く事になりました。
駅前にバイクを停めて創業、大正12年の「やぶ屋」さんに行きました。
URLは、こちら。http://yabuya.jp/

今では若干変わってるみたいですが当時は「わんこそば」の
メニューは3種類あって、「並」、「上」、「特上」というか「松」、「竹」、「梅」
とあって、1,000円、2,000円、3,000円だったと思います。
何が違うかというと、値段がUPするにつれてサイドメニューが
増えていきます。
「並」は、薬味だけやったと思います。
「上」は、刺身なんかが付いたお思います。
「特上」は、更に天麩羅とかも尽きます。これは豪勢でっせ。

URLで確認すると今は以下の様ですね。
お子様(並):2,500円
 
上:3,000円

特上:4,000円

その2年前に、別の「わんこそば」屋に行った時の経験なんですが
「特上」の様な色々なサイドメニューが無いと「わんこそば」だけでは
飽きます。「並」だったら飽きてしまい、あんまり食えません。

なので、「特上」を注文したと思います。
社会人やから、このくらいの金額は平気ですわな。
記憶によると「わんこそば」の椀が10杯で普通の蕎麦1杯分だった
と思います。店によって色々あるみたいですが。

御存知と思いますが「わんこそば」とは、食べてる後ろにおねーさんが
立っていて椀を食べると速攻でおかわりを入れてくれます。(勝手にね)
そんな感じで、食べても食べてもおねーさんが蕎麦を入れてくれるのです。

お腹が一杯になるとお椀の蓋をするまでおねーさんが、どんどん蕎麦を
継ぎ足すので、おねーさんが蕎麦を入れる前に蓋を閉じないと駄目です。
その店では、「もう無理です。」って感じでギブすると継ぎ足しはストップします。
当たり前か。でもでも蕎麦を投入する、おねーさんとの勝負です。

試合が開始する前に店の人に教えて貰ったのですが、おねーさんが
投入する蕎麦には少しですが汁が入っているので、その汁は飲まずに
捨てて下さい。でないと蕎麦が食べれませんので。
(バケツじゃないけど、汁入れの器が置いてあります)

私とブラックが1組みで対するおねーさんが1人。
東京3人衆が1組みで対するおねーさんが1人。という布陣です。


試合開始。カ~ン。ゴングが鳴りました。

最初は、みんな好調で食いまくります。おねーさんも忙しくします。
1~2杯目は汁も味わうのですが、それ以降は忠告通り汁は捨てます。
10杯、20杯。とここらへんで、なんと東京組みの1人が脱落。
信じられン。。。
後の4人はどんどん食います。しかし40杯くらいで残りの東京モン
2人も脱落。ホンマに東京モンは根性が無いなぁ(当時の感想)
と思っていました。

残すは関西人の我々2人です。

2年前に1人で「わんこそば」に来た時は54杯でギブしました。
これは私1人に対しておねーさんも1人というタイマンの対決で
休憩する間もなくガンガン蕎麦を投入されたので54杯でギブと
なったのでした。
今回は、ブラックと私の2人なので、少しは余裕があります。

私個人の目標は、過去の54杯を大幅にクリアする事です。

「それドンドン」、「まだまだ」、「はいジャンジャン」などの掛け声
とともに、おねーさんは、ジャンジャンと注ぎます。

しかし、遂にブラックも60杯をクリアして私の過去をクリアしたので
満足したみたいで、そこらへんでギブ。
私の一人旅は続きます。70杯。。。

もうアカン。そろそろギブしようかなぁ。と思ってると、おねーさんが
「100杯まで、頑張って。100杯で記念品を出しますよ(^^)v」
「それドンドン!」 と言われて関西魂に火がつきました。

ブラックと東京組み3人だけじゃなく一般のお客様からの声援もあり、
71杯。72杯。73杯。74杯。75杯。76杯。77杯。78杯。79杯。
やった~。80杯クリア。
この時点で「特上」の天麩羅とかのサイドメニューも食いきっています。


う~ん。限界。もう吐きそうだったので休憩。
しかし、おねーさんが「100杯で記念品ですヨ~。」とそそります。

81杯。82杯。83杯。84杯。85杯。86杯。87杯。88杯。89杯。
90杯クリア。

ホンマに吐く手前だったので。更に休憩。

一旦、休憩したお陰で91杯。92杯。93杯。94杯。95杯。

休憩。もう何がなんか判らないくらい腹いっぱいです。
しかし、「あと少しで記念品だよ。」とおねーさん。

あと5杯かぁ。よし、気分を切り替えて一気に96杯。97杯。98杯。99杯。
100杯。101杯。
えっ、100杯越えてるやん。おねーさんが止まりません。
「ちょうちょう、ホンマにアカンって」。という事でホンマにアカンかったので
101杯で終了。

100杯食べたでぇ。記念品を下さ~い。
というと奥からおねーさんが、「手ぬぐい」を持ってきまして。。。
え~っ。(@_@)  そんだけ~。「はい。そうです。記念品です(^^)v」


   記念にポラロイドで撮ってくれました。


この証明証のお蔭で、行った店の名前が判明。
(ちゃんと記録を取っている几帳面ライダー)


しかし、「手ぬぐい」かぁ。まぁ、店の名前が入っていたので記念には
なるのでしょうが、100杯(ちゃうちゃう101杯)も食って、これかい・・・・。
改めて「手ぬぐい」を見ていると、それまで溜めに溜めていた
「わんこそば」を一気に吐気だしそうになりつつ、その場に倒れ込んで
しまいました。そのまま動けず・・・・。1歩でも動いたら出るぅ~。

店も商売をされているので、あんまり長い時間、倒れ込んでいる
訳にもいかず、ゲップ状態で店を後にしました(涙ゲップ涙)。

という様な、「手ぬぐい」というオチがついたところで「わんこそば」の
話は終わるのでした。

あっ、この時の「手ぬぐい」なんですが。

♪Mama, Do you remember♪
『母さん、僕のあの「手ぬぐい」どうしたでしょうね ええ、夏、碓氷から
霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの「手ぬぐい」ですよ~』
♪Mama, Do you remember♪

とは関係ないのですが、今では影も形も・・・・。
几帳面ライダーの私でも無くす事はあります。
もしかしたらブラックにパクられたかも(笑)


って、今回はバイクは全く出てこずに「わんこそば」一色でしたね。

この時点で2日目(月曜日)の昼の12時。明後日は仕事だぁ。
【帰還リミットまで、あと41時間】


サラバ。

2014年7月29日火曜日

【むかし話】弾丸2

深夜3時(日曜日の朝っすね)に堺市を出発した
2スト250ccレーサーレプリカ(2台)は、普段なら
まず乗らない高速(近畿自動車道)に乗ります。

当時は東大阪(もしかしたら長吉長原)から吹田までしか
開通してなかった近畿自動車道で吹田へ。
でもでも、普段から高速なんか走ってなかったので
吹田ジャンクションあたりで少し行き過ぎて急停車。

押しながらバック(違反?→時効→天丼)。というか
乗らずにゆっくりバックしたんですよ。

なんとか名神高速へ。米原から北陸道へ。

本来ならば名神高速~東名高速~都内~東北道ってルートを
とるところなんですがお盆休みという事で首都圏は渋滞してると
「読み」、あえて日本海側を走る事にして北陸道へ進んだのです。

北陸道っていうても当時は、敦賀くらい(?)までしか
開通してなくて明け方頃には高速から降りて下道[したみち]へ。
R8をひたすら走ります。

途中休憩もせずに給油の為にバイクから降りるだけで
どんどん走ります。福井県→石川県→富山県を過ぎて新潟県に
入りました。しかし、新潟県は長い。いつまで走っても新潟です。

やっと新潟駅に到着したのは、もう16時頃です(日曜日の夕方ね)。
自宅を出発して13時間程経過。しかし、まだ新潟駅です。

15年後に新潟支店に勤務するとは(驚)

新潟駅で、やっとメシを食いました。ここまで給油(その時に小便)を
するだけで走ってきましたが、このツーリングで初めてのメシです。
疲れているのかメシを食っている時も、あんまり会話が無いです。

メシを食いながら、もうこの辺で止めたい。と言いたかったのですが
「ブラック」(前回、命名したRZ-R君の事です)は黙々とメシを食って
いるので、止めるとも言えずに盛岡を目指す為の「ネジ」を巻いたのでした。

後で聞いたのですが、「ブラック」もこの時に盛岡行きを止めて新潟に
宿泊したい。と思っていたらしく、私が黙ってメシを食ってるので中止
を言えなかったそうです。お互い、ソロツーリングやったら絶対にここで
止めて宿を探してたでしょう。ホンマに意地っ張りな年頃でした。

メシを食ってからリスタートです。しかし新潟県はまだまだ続く。

やっとの事で山形県へ。
当初は秋田県くらいまで日本海沿いに走って、そこから内陸の盛岡へ
という予定だったのですが、時間的に厳しいので山形県のどっかから
内陸に入り、そして東北道の、どっかのインターに。ここから高速に
乗って盛岡を目指す事に変更します。
(詳しく覚えてなくてスイマセン)

2スト250ccの2台は、ツーリングというよりレースをしてる感じで
ガンガン飛ばします。

そして遂に盛岡インターに到着しました。そこから盛岡駅へ。
駅に到着したのは23時30分頃です。
堺の自宅を出発して約20時間。殆ど走り続けて到着しました。
走行距離は、な・な・なんと、1,500Kmでした。
う~ん。一気走りで1,500Kmってのは私のバイク歴で1番
長い距離の走りでした。
夜の盛岡駅に到着

盛岡駅で野宿(寝袋)をしようと準備をしていたら駅員さんが来て、
このあたりは明るいけど治安が悪く襲撃される事が多いので
気を付けてネ(非常に軽い調子でね)。

おいおい。そんな危険なとこで野宿するのも怖いので、
どうしようかと相談してたら、盛岡インターを出たところに
芝生の空きスペースがあったのを思い出して、そこで野宿
しようという事になりました。

盛岡駅から移動しようとしたら東京からツーリングに来ていた
人達(3台)を見つけたので話かけると、この人達も寝袋で野宿
するつもりだそうです。駅員さん曰くのデンジャラスな話をしたら
この東京(3人)組も一緒にインターに移動する事になりました。

さてさて、盛岡インターの出口まで戻り寝袋を広げて眠りに。
でもでもでも、ここは虫(主に蚊)が凄くて寝袋から出した顔
をかまれまくり、横を見ると「ブラック」が寝袋に入ったままヘルメットを
被っています。「なるほど」。私もヘルメットを被って寝袋で寝ました(-_-)zzz




確か寝たのは25時頃だったのではないでしょうか。
盛岡まで1,500Kmも走って来たのでクタクタでした。
しかし、2日後の出社するまで帰る事が出来るのか。

限界の時間は、3連休明けの水曜日の朝の5時には堺の
自宅に戻ってないと駄目です。って事は、あと52時間や。

さて、どうなるか。


続く。