色々なエピソードがあるはずなんですが、あんまり思い出せません。
なんせ36年くらい前(浜崎あゆみサンが生まれた年)なもんで・・・。
という事でハイスクールララバイは今回で最終回です。ドン!
私は高校2年と3年の2回、年末年始に郵便局でアルバイトをしてました。
よくある年賀状の配達バイトです。今回は、この時の相棒の事を。
1回目(高校2年の時)の配達はチャリンコだったのですが2回目(高3)は
バイクでの配達に格上げになりました。
理由は、3年の時は入試の為にバイトはやらないつもりだったのですが
「推薦」で合格しちゃったので12月に入ってから急遽バイトに応募しました。
普通ならば1年前と同じ地区になるのですが既に新しいバイト君が決まって
いた為で同じ地区の担当になるのはダメでした。
でも経験者だったので採用されました。そして配達地区は、その郵便局が
管轄する地域の極限に遠いところです(最果ての地)。
例えるなら、地球からイスカンダル(大マゼラン星雲)くらいの距離がある
とこで二上山のふもとです(竹ノ内峠を越えると、そこは奈良県)
初日はチャリンコで配達したのですが、配達地域まで行くのにも1時間近くも
掛かり、配達地域は坂も多くて配達自体がチャリでは、超・厳しいとこです。
イスカンダルではなく放射能満載のガミラスみたい。
なので局に直訴したら特別にYAMAHA Mate50を手配してくれて、
翌日からはバイクで配達する事になりました。ラッキー。
Mate50は、本当の相棒ではないのですが陣川警部補(原田龍二)みたいな
ちょっとドジな私の頼もしい相棒でした。
ちなみに郵便局なので毎日、整備点検があり邪魔くさかったのですが
そのうちに慣れました。ガソリンは郵便局近くの契約しているスタンドで給油。
この時、給油したガソリンには、大変お世話になりました。
バイトのパターンは、郵便局に出勤して、出勤印を押してからMate50で出動。
殆どのバイト仲間達はチャリンコなのでバイクでの出動は、ちょっと優越感。
郵便局から配達地域まで◯◯Kmで飛ばして、直ぐに到着(若干違反→時効)
流石にMateでは転倒も含めて事故はありません(公式には)
配達もバリバリとこなして、14時~15時頃に配達から戻って、そこからは
郵便物の仕分けです。
今では郵便番号の自動読み取り選別機でやっていますが当時は目と手で
コツコツと仕分けをしていました。
配達地域ごとに100個くらいの小さい地区に仕分けをするのです。そして
その小さい分別を家ごとに配達しやすい様に並べて輪ゴムでとめていくのです。
これで翌日の配達の準備完了。
当時は、こんなBOXに人間仕分け
今では、超高速で機械仕分け
12/25くらいまでは余裕の仕分け作業だったのですが年賀状が本格的に局に
届きだす頃には残業してました。こうして元旦に皆さんの家に年賀状が届く
のです。感謝しましょう。
この時、同じバイト仲間(女子高生)とおしゃべりしながらの「分け分け」が
楽しくって。配達の寒さツラさを忘れさせてくれました。なんの話や。
配達地域が僻地なもんでポスト郵便の回収もしてました。
元旦の配達なんですが、想像通り膨大な量です。通常の配達の3倍~4倍
もあります。通常でもカバン(前)とBOX(後)が満載なので年賀状の時は
全てを積める訳ありません。
我々の時は12/31の午後に郵便局の車で配達地域の周辺まで元日に配達
する年賀状(大きな配送BOXに3~4箱分)を運び保管していました。
保管場所は、配達地域に小さい郵便局がある場合は、そこに。無い場合は
懇意にしている人の自宅に。
なので元日はバイト達は「手ぶら」で配達地域まで行き、そこで荷物を積んで
配達をしていました。ここで問題だったのは、バイト君達は元日に配達を
したくない(初詣や遊びがある)ので除夜の鐘を聞いて年が明けたら
夜のうちから配達する事が頻発していました。これはこれで色々と問題が
あり、元日はバイト君達に直行で配達地域まで行かせるのではなく一旦、
郵便局に集合させてから配達に出発するスタイルに変更されました。
そんな有意義な郵便局バイトも終わった頃(高校3年の1月)から
教習所(車)に通い出して普通免許を取得しました。
2月下旬には免許を取って3月には中古の車(ランサー)を買って少し
バイク(CB50)から離れていったのでした。
でも時々は、CB50にも乗ってたかな。
最終回なのに郵便局のバイトの話ばっかでしたねぇ。
なので、大学生時代の「ギザギザハートのきんだい子守唄編」に続く。
(げっ、まだ続くの)