2スト250ccレーサーレプリカ(2台)は、普段なら
まず乗らない高速(近畿自動車道)に乗ります。
当時は東大阪(もしかしたら長吉長原)から吹田までしか
開通してなかった近畿自動車道で吹田へ。
でもでも、普段から高速なんか走ってなかったので
吹田ジャンクションあたりで少し行き過ぎて急停車。
押しながらバック(違反?→時効→天丼)。というか
乗らずにゆっくりバックしたんですよ。
なんとか名神高速へ。米原から北陸道へ。
本来ならば名神高速~東名高速~都内~東北道ってルートを
とるところなんですがお盆休みという事で首都圏は渋滞してると
「読み」、あえて日本海側を走る事にして北陸道へ進んだのです。
北陸道っていうても当時は、敦賀くらい(?)までしか
開通してなくて明け方頃には高速から降りて下道[したみち]へ。
R8をひたすら走ります。
途中休憩もせずに給油の為にバイクから降りるだけで
どんどん走ります。福井県→石川県→富山県を過ぎて新潟県に
入りました。しかし、新潟県は長い。いつまで走っても新潟です。
やっと新潟駅に到着したのは、もう16時頃です(日曜日の夕方ね)。
自宅を出発して13時間程経過。しかし、まだ新潟駅です。
15年後に新潟支店に勤務するとは(驚)
新潟駅で、やっとメシを食いました。ここまで給油(その時に小便)を
するだけで走ってきましたが、このツーリングで初めてのメシです。
疲れているのかメシを食っている時も、あんまり会話が無いです。
メシを食いながら、もうこの辺で止めたい。と言いたかったのですが
「ブラック」(前回、命名したRZ-R君の事です)は黙々とメシを食って
いるので、止めるとも言えずに盛岡を目指す為の「ネジ」を巻いたのでした。
後で聞いたのですが、「ブラック」もこの時に盛岡行きを止めて新潟に
宿泊したい。と思っていたらしく、私が黙ってメシを食ってるので中止
を言えなかったそうです。お互い、ソロツーリングやったら絶対にここで
止めて宿を探してたでしょう。ホンマに意地っ張りな年頃でした。
メシを食ってからリスタートです。しかし新潟県はまだまだ続く。
やっとの事で山形県へ。
当初は秋田県くらいまで日本海沿いに走って、そこから内陸の盛岡へ
という予定だったのですが、時間的に厳しいので山形県のどっかから
内陸に入り、そして東北道の、どっかのインターに。ここから高速に
乗って盛岡を目指す事に変更します。
(詳しく覚えてなくてスイマセン)
2スト250ccの2台は、ツーリングというよりレースをしてる感じで
ガンガン飛ばします。
そして遂に盛岡インターに到着しました。そこから盛岡駅へ。
駅に到着したのは23時30分頃です。
堺の自宅を出発して約20時間。殆ど走り続けて到着しました。
走行距離は、な・な・なんと、1,500Kmでした。
う~ん。一気走りで1,500Kmってのは私のバイク歴で1番
長い距離の走りでした。
夜の盛岡駅に到着
盛岡駅で野宿(寝袋)をしようと準備をしていたら駅員さんが来て、
このあたりは明るいけど治安が悪く襲撃される事が多いので
気を付けてネ(非常に軽い調子でね)。
おいおい。そんな危険なとこで野宿するのも怖いので、
どうしようかと相談してたら、盛岡インターを出たところに
芝生の空きスペースがあったのを思い出して、そこで野宿
しようという事になりました。
盛岡駅から移動しようとしたら東京からツーリングに来ていた
人達(3台)を見つけたので話かけると、この人達も寝袋で野宿
するつもりだそうです。駅員さん曰くのデンジャラスな話をしたら
この東京(3人)組も一緒にインターに移動する事になりました。
さてさて、盛岡インターの出口まで戻り寝袋を広げて眠りに。
でもでもでも、ここは虫(主に蚊)が凄くて寝袋から出した顔
をかまれまくり、横を見ると「ブラック」が寝袋に入ったままヘルメットを
被っています。「なるほど」。私もヘルメットを被って寝袋で寝ました(-_-)zzz
確か寝たのは25時頃だったのではないでしょうか。
盛岡まで1,500Kmも走って来たのでクタクタでした。
しかし、2日後の出社するまで帰る事が出来るのか。
限界の時間は、3連休明けの水曜日の朝の5時には堺の
自宅に戻ってないと駄目です。って事は、あと52時間や。
さて、どうなるか。
続く。